島根県益田市のとある小高い丘の上、その一画だけ、眼前に広がる日本海が、地中海に思える場所がある。白い壁に青い屋根を乗せた『レストラン・ボンヌママン・ノブ』。平成13年にオープンしたフレンチのお店。カジュアルなエプロン姿で、人懐こい笑顔を見せてくれるのは、オーナーシェフの上田幸治隊員。益田に4代続く老舗『料亭 上田』に生まれ、幼い頃から育まれたサラブレッドの舌でつくるフレンチは、徐々に地域へと浸透し、県外からわざわざ来店するファンも獲得。
JR西日本『TWILIGHT EXPRESS 瑞風』で提供される料理を開発・監修する、“食の匠”の一員でもある。
幼い頃から、家業を手伝っていた上田隊員は、両親の姿を見て育ち、小学生の頃には、料理人になると決めていた。では、なぜ、フレンチを目指したのか。
「当時、“料理天国”というテレビ番組があって。家の食事とはまったく違うフランス料理の世界に、どんどんのめり込んでいきました」地元の高校を卒業すると、フレンチ専門の“エコール辻 東京校”に第1期生として入学。フランス留学できるシステムが整っていたことが決め手だった。
「当時は、とにかく田舎から1日でも早く出たい。東京が絶対だ! と思っていましたから、益田に帰るつもりはまったくありませんでした」こうして、楽しくてしょうがない東京で1年を過ごし、念願だったフランス留学へ。そこで、180度考え方が変わることになる。
ある休日、友人とリヨン郊外へ行き、お昼ご飯を食べることに。入ったのは、ランチが1000円程度の、いわゆる地元の定食屋さん。高級食材や高価なカトラリーもなく、どうかするとお皿がちょっと欠けているようなお店だ。けれど、そこには大きな木陰のテラスがあって、常連さんがワインを飲みながら、チーズを食べている。出てきたのは季節の食材をたっぷり使ったボリュームのある料理。それがすごくおいしくて、「俺、こんなお店をやりたい! だったら東京じゃないよな。益田だよな」と素直に思えた。フランスでも勉強のために星付きレストランを食べ歩いたが、一番心に残っているのが田舎町のこの定食屋さん。「物質的な豊かさよりも、心の豊かさのほうが人間らしい」と気づいた19歳の上田隊員は、30歳までに益田にお店を出すと決心した。
厳しい修行を積んで、28歳で益田に帰ると、翌年には『レストラン・ボンヌママン・ノブ』をオープン。けれど経営は、順風満帆とは行かなかった。「オープンして最初の3ヶ月は忙しくて。このペースだったら、すぐ借金が返せると思っていました。でも、その後はパッタリお客さんが来なくなって」さらに、多くのお客さんが「ハンバーグないの?」「パスタはないの?」と言ってくる。そんな状態が1~2年続いたが、それでも耐えられたのは、東京でお世話になった尊敬するシェフの、こんな言葉だった。
「僕の友人も地方でお店をやっている。でも、みんな地方の現実にさらされて何屋だか分からなくなっている。上田くんはフランス料理の修行をしてきたんだよな。だったらそれで勝負しようよ。ただ、東京と同じようにはいかない。お客さんの認識も違うから。だから妥協するところはたくさんあると思う。でも、迎合だけは絶対するなよ」辛かった当時を振り返ると、「この料理をつくりたいから、この食材が欲しい」と、地元にはない食材なら、ムリして県外から取り寄せていた。
すると当然、原価がかかりすぎる。これではダメだと見直すようになっていった。すると、「今ここにある食材で料理をつくればいい」という発想にシフト。地元の食材に目を向けるようになった。現在、野菜のほとんどが新鮮な地物。「地元の生産者さんに、もっとスポットを当てたい」との思いがある。
やっとお店も黒字になった矢先の、平成17年4月4日、火災によりお店は全焼する。絶望していた息子を見て、「お客さんを待たせてはダメだ。再開する気があるのなら早いほうがいい」と、父は声をかけた。全焼からわずか5ヶ月後に再オープンさせた。火災なんて、思い出したくない出来事だが、「本当に良い人生経験をさせてもらった」と上田隊員は感謝する。
火災直後、常連さんが駆けつけてくれたのだ。魚屋のおばちゃんは「おむすび食べな」と飛んで来てくれて、真っ黒になった厨房から使えるものを探し出して磨いてくれた。あったかい地元のみなさんの気持ちに触れることができた。
以前なら、「忙しいから」と断っていた料理教室や学校での食育の授業なども、「みなさんに受けた恩の大きさを考えると、全部お返しすることはムリですが、こんな自分にできることがあれば何でも」と、今では積極的に取り組んでいる。
お店の隣に自宅があり、ちょうど学校から帰った子供たちが元気に走り回っていた。「こんな光景、都会では考えられないでしょう。フランスで感じた精神的なしあわせが、確かにここにはあるんです」そう話す上田隊員の晴れやかな表情は、きっと19歳のあの日のままなのだろうと思えた。
実家は島根県益田市の老舗料亭「料亭上田」。高校卒業後、エコール 辻 東京に進学し、フランス研修を経験する。卒業後は東京のレストランで修行を重ね、29歳の時に地元益田市で「レストラン ボンヌママン ノブ」を開店。
地元食材を活かした洗練された料理はもちろん、雰囲気などトータルの印象を重視し、ロケーションを活かしたレストラン・ウェディングにも力を入れている。