古くから〝山陰の松島〟とも称される浦富海岸は、平成22年、世界ジオパークネットワークに加盟が認定された山陰海岸の一角で、日本列島誕生のプロセスが刻まれた貴重な地質遺産を目の当たりにできる特別な場所。そんなダイナミックな地質を海上から見せてくれるのが、昭和38年創業の山陰松島遊覧(株)が周航する〝島めぐり遊覧船〟である。
不思議な奇岩や奇景を間近に見ながら、島や暗礁の間をめぐる約40~50分のクルージングは、年間、約10万人が乗船する人気のスポットだ。鳥取砂丘から車で10分ほど走れば、島めぐり遊覧船のりばに到着する。出迎えてくれたのは、日焼けした顔が精悍な、川口博樹隊員。山陰松島遊覧(株)の4代目社長である。
幼い頃から、遊覧船が遊び場だったという川口隊員。「小学校高学年くらいには、船内で流れる案内を全て覚えてしまいました」というほどだ。
けれど、高校生になる頃にはあまり船には乗らなくなり、大学進学のため関東へ出ると、遊覧船とはまったく無縁の生活を送っていた。大学の専攻は建築科。将来は自分で会社を設立し社長になるための勉強として、卒業後は東京の設計事務所に就職した。夢は「何かしらの社長になりたかった」のである。
それは25歳のとき、突然、父親から「家業を継ぐために鳥取へ帰って来い」と連絡が入った。「社長になれるな、それも悪くないかな」と考え、案外気軽に帰ることを決めた。
「都会から戻ると、ここの景色の美しさを再認識させられました。千葉や茨城や神奈川などの海にも行きましたが、関東の海岸は黒っぽい砂なんです。ここ浦富は、白い砂浜があるし、ダイナミックな岩場もある。良いところがギュッと凝縮されているなと感じました。そして、なにより海の透明度の高さです。遊覧船で案内するスポットの中で、僕が一番好きな場所に〝鴨ヶ磯海岸〟があるんですが、そこの最高透明度は水深25m。海の底まで見透せます。そして、真っ白な砂が天然記念物になっているんです」
鳥取に帰って、一番最初にしたことは、1級船舶免許の取得だった。
ところが、時代はバブル崩壊後の低迷期。「景気もよくなくて、仕事も忙しくなくて」県外へ営業に行くことになる。
それまでに営業の経験はなく、自社のパンフレットだけを持って歩いていた。すると、「そんな営業じゃダメだ。いろんな情報を持ってこないとダメだ」などと、お叱りを受けながら、営業先のお客さんにいろいろ教えていただく日々が続いた。こうして、周辺の情報と一緒に旅行プランを立てて提案するなど奮闘。営業を始めて5年後の平成15年頃から、徐々にお客さんが増えていった。
今では不動の人気商品になっている〝イカスミソフトクリーム〟や、敷地内にある砂丘らっきょう専門店〝らっきょう屋〟も、営業先のお客さんからアドバイスされて実現したものだ。
また、当初は、うどんやカレーなどの軽食が出せればと始めた食事処だったが、お客さんから「海の近くに来たのだから海鮮ものが食べたい」と要望があり、船のりば食事処「あじろや」が完成。
「プロの料理人はいません。地元のおばちゃんたちが、自分の家でつくるような料理をお出ししています」それが口コミで評判を呼び、意外にも、地元のお客さんが増えたのだという。そして、海が落ち着く来年のゴールデンウィーク明けには、オリジナルスイーツを食べながらのクルージングが就航予定。波の荒い日本海側では、こうした食事のできるクルーズはほとんどないのだそう。行く行くは、地元のサザエなど海鮮も出したいとの思いがある。
「その次は、海風や飛沫(しぶき)を体験していただけるよう、小型船を改造して壁も屋根もない船にして、思いっきり浦富海岸を楽しんでいただきたいと考えています」と瞳を輝かせる。
そんな川口隊員には、決して忘れられないお客さんがいるという。遊覧船に乗船されたご夫婦が、こんなふうに話された。「亡くなった母が〝ここの景色を必ず見なさい〟と生前に言っていたので今日は来ました」と。次から次へとアイデアが浮かび、実現できるのも、目の前に美しい浦富海岸があるから。そんな鳥取の自然の奥深さを、誰よりも川口隊員はわかっているのだ。