鳥取城跡・久松公園から南へ延びる智頭街道が片原通りとクロスする交差点、小豆色の地に屋号紋を染め抜いた暖簾(のれん)のかかる和菓子屋がある。その佇まいは、あくまで控えめ。慶応4年(1868)創業、鳥取で一番の老舗和菓子屋『亀甲(きっこう)や』だ。まずは、その歴史からご紹介しよう。
ときは江戸時代初期の寛永9年(1633)、鳥取藩主となった池田光仲公の国替えに従い、岡山県の亀甲(かめのこう)という地から鳥取に移住してきた染め物屋がいた。そこの家には治郎平という次男がいて、たびたび句会を催すほどの風流人。「句会には皆に振る舞うお菓子が必要」となり、治郎平は京都から菓子職人を招へいした。これが和菓子屋を始めるきっかけとなった。
句会のために作られたのが亀甲形の皮で餡をはさんだ、今の『亀甲もなか』。150年前から甘さも製法も変わっていない伝統の味というから驚きだ。
この亀甲や当代主は数えて5代目となる小谷寛隊員。東京の大学卒業後、家業を継いだ。温厚さと威厳が備わった、いかにも当主然としたひとだ。
亀甲やの5代目として生まれた小谷隊員。毎日、店のお菓子を食べて育った。
「門前の小僧というわけじゃないけれど、小学生の頃はお菓子作りが趣味でしたね」とはいうものの、代々亀甲やの主は、2代目を除いて、菓子職人ではない。味を守り、店を継承することが仕事なのだ。
そして、当主は代々「治郎平」を襲名するのが習わしで、創業150年を迎える来年、第5代小谷治郎平が誕生する予定だ。
「店の味の確認というのが一番大きな仕事。自分が好きか嫌いかよりも、この味はどういうひとが好むのかというほうが大事です。子供のころから舌は鍛えられていますからね。たとえば利き酒大会に出れば全問正解なんですよ」とお酒好きが顔をのぞかす。「羊羹(ようかん)に赤ワインは合うと思うな」とのことだ。鳥取の名産品をイラストでちりばめたパッケージが楽しい『鳥取ブランケーキ』は、ブランデーをたっぷり利かせた一品である。
「僕の役目は、その日に作った商品を毎日食べて〝酒が足らん!〟と叫ぶこと」と場を和ませる。ちっとも偉ぶることのない、サービス精神旺盛な気遣いのひとでもある。
また、鳥取県の特産物から名前を付けた銘菓『二十世紀』は、輪切りにした二十世紀梨をイメージした乾燥ゼリーのお菓子。作るきっかけは、黒斑病が大流行したことに起因する。危機的な状況に陥っていた二十世紀梨の生産者を応援するため、大正11年(1922)に誕生した。名前は二十世紀だが、梨の果汁も果肉も一切使用されてはいない。
「最近は、本物を入れないと偽物みたいに言われるけれど、昔からお菓子というのは、お菓子の材料で形を作るのが本来の姿。逆に本物を入れるほうが邪道なんじゃないのというのが菓子屋の考えです」
なるほど、鯛焼きにだって鯛は入っていないし、花や景色など季節の風物詩をお菓子の材料だけで表現するのが和菓子の本分ということなのだ。
「本業はお菓子屋なんですけど、本屋の応援をしていましてね」こう飛び出した話がおもしろい。
今から30年前(1987年)、鳥取県の図書館は非常に遅れていたという。そこで「図書館を振興しなければいけない!」と、模擬図書館を企画して全国のブックフェアを鳥取県で開催した。名付けて『ブックインとっとり』、つまりは〝本の国体〟だ。小谷隊員は実行委員長という立場で牽引した。
「国体を開催するためには選手を育成し、競技場を造るでしょ。同じように、全国を回ることによって各地の図書館が整備されることを狙ったんだけれど、残念ながら他県で積極的に携わってくれる団体が出なかった」ために巡回とはならなかったが、毎年、鳥取県で開催している。
一方で、その活動に興味を示したのは、韓国の出版関係者や雑誌編集者たちだった。平成27年に視察団が来鳥。今年(平成29年)5月、小谷隊員は韓国に招かれ基調講演も行っている。
そして、当初の目的のひとつだった図書館の整備も、この30年で成果を見ている。当時、鳥取県立図書館以外、市町村立にあったのは、わずかに4図書館。「町村なんて図書室みたいなものだった」のだ。それが現在、19市町村全部に図書館が完成。学校図書館においても、24の公立高校全ての図書館に司書が置かれ、図書館改革につながった。それを「本業以外の話で恥ずかしい」というが、地域の発展に尽くした功績は大きい。
「〝人脈〟というのが物事をやるには大切。アイデアもお金も、人とのつながりで出てくるもの。僕はいたるところで飲んでいますから、人脈だけは山ほどあります」と楽しそうに小谷隊員が笑うと、その場の雰囲気を一気に明るくしてしまう。
亀甲や当主に代々受け継がれているものは、確かなお菓子の味と、地域を元気にしたいという揺るぎない心意気なのだ。