国宝松江城の内堀に沿って続く武家屋敷通りは、塩見縄手と呼ばれる伝統的美観地区。ときおり堀川遊覧船が行き交う内堀を右に見て、小高い赤山側へ折れ坂道をしばらく登ると、左手に石段が現れる。
不昧公(ふまいこう)ゆかりの茶室『明々庵(めいめいあん)』へと続くスロープだ。松江藩7代藩主であり大名茶人として知られる松平治郷(はるさと)は、雅号を不昧(ふまい)といい、地元では今も「不昧公」あるいは「不昧さん」と親しみを込めて呼ばれている。
今回、明々庵を取材場所に選んだのは、ファビアン・クレッツ隊員。「ファビアン」が名前で、「クレッツ」が名字だ。2014年8月、松江市の国際交流員として着任した。流暢な日本語に、やさしい話し方、フランス出身の29歳の好青年である。
ファビアン隊員の故郷は、ドイツに近いアルザス地方。「生まれ育ったのは、人口3500人ほどのちっちゃい町。フランスとドイツの文化が混ざっているところです。その影響もあって他の国の文化に夢中になりました。初めて日本語を聞いたのはジブリ映画『千と千尋の神隠し』。この映画を観て、なぜかわからないけど“興味があるな”と思いました」
高校生になって日本語教室に参加すると、「やっぱりいいな」と改めて実感。大学では、日本の歴史や文化・文学を学ぶ日本学科を専攻した。こうして、日本の映画に興味をもち、黒澤明監督の『羅生門』や『用心棒』などを観て、映画の内容よりも撮り方や画像に興味をひかれたという。なるほど、ファビアン隊員の趣味は、フィルムカメラでの白黒写真撮影と現像なのである。そして現在、世界で一番好きな監督は小津安二郎、一番好きな作品は『浮草』だ。
「おもしろいのは、若い人とおじいさんおばあさんがケンカしてる、そういうパターンがよくあること。それは、世界中どこでも同じ。時代は日本の昭和ですが、扱うテーマに親しみを感じます」
初来日は2008年、3週間ほどの旅行だった。次いで’10年、ワーキングホリデービザで再来日。東京でフランス語の家庭教師をしていたが、’11年3月11日、東日本大震災が発生。心配する家族のために一時帰国するが、翌年すぐに来日、早稲田大学に留学した。
「ずっと日本の文化を勉強していましたから、もっと知りたくて。それにはやっぱり日本に住む必要があると思いました。ちょうどそこで日本のJETプログラム(外国語青年招致事業)を知って」受けたのが、松江との出会い。このとき、面接に備えて敬語の練習に励んだという。
「私が受けたときは、“金沢市か松江市か”という選択しかなくて。まったく知らない場所よりはいいかなという理由で、金沢を希望しました」ところが、派遣されたのは松江の方。その名前さえ知らなかった土地に’14年8月4日、着任。すでに丸3年が過ぎた。
「最初は、“松江ってどこですか?” と思っていましたけど、着いたらすぐに“松江でよかった!” と思いました。金沢は松江より大きくて、田舎か大都会かちょっと中途半端なのかな。松江は中心は街ですが、すぐ田舎に行けます。私は田舎が好きですから、松江でちょうどいい」
和室と日本庭園と、人が少ないところが好き。月照寺があり、普門院があり、そういう雰囲気のある場所が好きなのである。
「美保神社の朝の巫女舞も好きですね。私が行くたびに天気が悪くて。でも、それがすごくいい。あとは、神魂(かもす)神社の手水舎(ちょうずや)は日本で一番きれい。苔がいっぱいで素晴らしい。やっぱり私、マニアックです」と照れて笑う。
松江ならではの和菓子も出雲そばも好き、もちろん日本酒も好き。「松江の地酒なら『豊の秋』とか、仁多郡の『玉鋼』とか。お客さんが来たら、島根県の地酒しか出ない店に行きます」というほどだ。
ファビアン隊員の仕事は、一般の国際交流員よりも多岐にわたる。松江市はフランスに友好都市がなく、国際交流事業の他に観光事業も加わるのだ。松江に来るフランスの旅行会社・ブロガー・ユーチューバーなどを案内するのもファビアン隊員の仕事。松江市に海外からの観光客を増やすための重要な役割を担っている。
最初は、日本人の方が案内場所を選んでいたというが、「フランス人が感動するところと、日本人が感動するところは、けっこう違います。それを意識して、フランス人の目線を大事にして、今は一緒に決めています。フランス人は、古くて伝統的なものが本当に好きです。有名じゃないとか、交通が不便とかはありますが、行けば必ず満足します」
さらに、毎年フランスで開催される『パリ国際旅行博』に松江から出張。世界各地の旅行会社・雑誌社・ブロガーなど観光のプロフェッショナルが集まる場で、島根県を松江市を紹介・発信している。
国際交流員の任期は最長5年間。毎年、市側から継続の意思を確認されるシステムで、ファビアン隊員はすでに4年目が決まっている。
将来的には、どうなるかまだわからないというが、「たぶん5年目までいきます。松江での仕事はおもしろいし、場所もいい。5年後以降も、日本の可能性が高いと思います」とファビアン隊員。その言葉が頼もしくもあり、なにより、とても嬉しく思えた。