豆絞りの手ぬぐいをほっかむり、鼻には古銭を1枚、♪あらえっさっさ~の掛け声でお馴染みの民謡「安来節」に合わせて踊る「どじょうすくい」は、島根県安来市の伝統芸能。同市には、アメリカの日本庭園専門誌で、14年連続日本一に選ばれている足立美術館があり、隣接して、悠久の昔から1300年間湧き続ける「さぎの湯温泉」がある。
旅館『竹葉』は、1959年創業、部屋数7室、お食事処を併設するこぢんまりとした温泉宿だ。足立美術館から〝徒歩で30秒、ダッシュなら10秒〟の場所にある。100%源泉かけ流しの天然温泉と、地元食材をたっぷり使った海鮮料理に加えて、薬膳料理やマクロビオティックス料理を提供する〝からだに美味しく、優しいお料理でおもてなしする〟湯治宿である。
この宿の3代目女将が、小幡美香隊員。着物のよく似合う、可愛らしいひと。けれど、華奢な体から放出されるエネルギーはパワフルで、実はハンサムな女性なのだ。
金融機関に勤める厳格なサラリーマンの父と、専業主婦のやさしい母の長女として生まれた小幡隊員。3人姉妹の一番上、しっかり者の女の子の夢は、小学校の先生になることだった。けれど、短大卒業後は、農林中央金庫松江支店に就職。父親の影響があったのだろうか。
「当時の仕事は、20代の女性が何億何兆というお金を扱うセクション。1分1秒を争う厳しい職場でした。ただ、実家が兼業農家だったので、もともと農業にすごく興味があり、仕事に魅力を感じていました」と当時を振り返る。農業に関わる仕事を通して、いつしか「全国を転々と巡って、各地の農業を元気にしたい」という思いが膨らんでいった時期でもあった。
仕事にやり甲斐を感じていた日々に、「結婚する気は全然なかった」が、運命の出逢いが訪れた。それがご主人、旅館『竹葉』の一人息子、小幡浩三さんだ。
ところが、「安定した職業があるのに、それを辞めて旅館に嫁ぐなんて」と両親が猛反対。一度は別れることになったが、お互いが「やっぱり、このひと!」と、両親を説得して結婚。小幡隊員、25歳のときだった。
「嫁ぐとき〝行ってくるから〟といったものだから、父は私が帰ってくるものだと思っているんですよ」と、娘の顔で笑う。
結婚して最初の1年は勤めを続けていたが、「いつまでも安定した職業に就いていたら〝本気で旅館業をやっていないんじゃないか〟と思われていそうで。地元の方に可愛がっていただける、身近に感じていただける存在になりたいから」と退社。旅館業に専念する覚悟を決めた。
若女将として手がけたのは、旧態依然とした環境に新しい風を吹き込むこと。まずは、融資を受けて内湯・露天風呂を整備した。新しいパンフレットには、「当時1歳になったばかりの娘と一緒に撮った写真を使用しました。予算がないのでモデルさんを使えなかったこともありますが、自分たちが広告塔となることで、わかりやすく〝ご家族で気軽に使っていただけるお宿です〟ということを伝えたくて」。同時にホームページも立ち上げ、ブログも書きはじめた。小さな宿だけれどコツコツ出来る、お金をかけない発信法だ。
嫁いで8年目の2003年、若女将から女将となった。そんなとき、どじょうすくい踊りの名人から「名物女将にならんかね」と声をかけられ、「宿のもてなしのひとつになれば」と挑戦。女将ながら、男踊りの准師範になった。
2008年には、調理師免許を取得。さらに「健康に対して意識の高い方が多くいらっしゃいますし、海外からのお客さまも増えていますので」マクロビオティックス・コンシェルジュの資格も取得した。そして現在、経営に関する講演をはじめ、食育やおもてなしなど各テーマをもとにした講師の仕事も全国から舞い込んでいる。「小学校の先生になるのが夢でしたから、かなえられた部分もあるのかな」と嬉しそうだ。
方々から引っ張りだこの忙しい日々だが、本業は旅館の女将であり調理師。可能な日は必ず、割烹着姿で厨房に立つ。その一方で、実は「こもってひとりで本を読んでいるのが好きなんです。本屋さんが一番好きな空間。化粧品代より本代がかかっていますね」というほどの読書好きでもある。
よく周りのひとから「ムリをしてるんじゃないか」といわれるが、「自分ではそういうふうには全然思っていなくて。お声がけいただくのは本当にありがたいですね」と軽やかに話す。人生を真剣に生きているカッコイイ女性である。
島根県松江市出身
1991年〜1997年 農林中央金庫 松江支店
1997年〜現在 有限会社 竹葉
日本の原風景が息づく山陰は、人の心が回帰し心豊かに過ごすことの出来る素晴らしい環境です。
さぁ!!五感をフル活動し、今まで知らなかった宝探し☆宝集めの旅に出発進行!!!