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隊員の部屋

鳥取市役所から程近い、古いビルの急な階段を上った2階、あやしい探偵事務所のような部屋、資料に埋もれたデスクで仕事をするひとりの男性がいる。植田英樹隊員だ。雑誌『宝島』の編集者時代に、TVチャンピオン『東京B級グルメ王選手権』でチャンピオンになったかと思えば、鳥取市観光プロデューサーを4年間勤め上げた偉材だ。果たして、その素顔は、如何(いか)に───。

植田隊員は、鳥取市生まれ。「目の前に市役所、その隣には赤十字病院。横に商店街があって、夜になると、うるさいは明るいは。そんな、土とか畑とかとはまったく縁のない街中で育ちました」という。子どもの頃の遊びのひとつとして、ゲーム大会を自ら企画したりもした。当時から〝仕掛けること〟が得意な少年だった。
中学に入学すると、ちょっとしたカルチャーショックを受けることになる。まずは、新聞の4コマ漫画だ。ちゃんと毎朝、読んでるはずなのに、友だちと会話がまったくかみ合わない。それを「おかしいな…」と感じ、友だちの家から新聞を持ってきてもらった。すると、毎日新聞を購読していた植田家に対して、それは地元紙。会話が合うはずがないのだ。

「そういうところから、〝比較する〟ことに興味がわいたというか。比較する対象が生まれたというのが、中学のときじゃないですかね」と振り返る。
元来、植田家は、大阪に住んでいた祖父母が、疎開で鳥取に来た家である。だから、食事も関西風。お正月の雑煮の話になると、友だちが「雑煮は小豆だ」というと、「えー! うちは、すましで出とるよ!」となる。そこでまた「これっておもしろいな!」と、比較したがりの心がうずくのだった。

地元の高校を卒業後、法政大学法学部政治学科に入学。大学を選んだ理由を「ゼミに入りたかった教授が2人いたんですよ。高校生の頃から著書を読み、おもしろいと思っていて。横浜みなとみらいの都市計画をつくった都市プランナー田村明さん(名誉教授/1926-2010)と、地方自治の権威である松下圭一さん(名誉教授/1929-2015)」
大学入試よりも難しいというゼミ入室試験を受けてみごと合格、めでたく田村ゼミの一員になった。

そして、東京で最初に感じた違いは、「うえだ」さんと呼ばれることだった。その度に、「違います。僕は〝うえた〟と濁らないんです」と訂正することが続いたのだ。そこで「自分のスタンダードは大事なことだな」と思う一方で、「自分が当たり前と思ってることが、よそでは当たり前じゃない」ということを身をもって体験した。
さらに、「鳥取の地位ってどういうとこにあるのかな」と考え、全国的なものを俯瞰して見ると、非常に知名度が低いことを実感した。これは「知名度を上げた方が、絶対におもしろくなる」と確信。尊敬する松下教授は〝地方自治〟の、ゼミの田村教授は〝まちづくり〟の専門家。「この方々のもとで学べば、自分の立場で、まちや地域を楽しくできるはず」そう思っていた植田隊員。「鳥取をおもしろくしたい」という気持は、大学のときに一番大きくなっていた。

大学を卒業すると、岡山毎日広告社に就職。タウン誌の編集に携わる。確かにやり甲斐はあったが、徐々に、タウン誌では物足りなくなっていった。ちょうどそんなとき、大学時代の知人から宝島社のことを聞き、すぐに応募。入社が決まった。1996年のことだった。


在職中、雑誌『宝島』で編集者の手腕を発揮。回転寿司や立ち食い蕎麦の特集も企画した。それがテレビ局サイドの目に止まった。「TVチャンピオンに出場してみませんか」と依頼が舞い込み、「ならば」と軽い気持ちで出場。『東京B級グルメ王選手権』のチャンピオンに輝いた。「同じ出場者には、フードライターや食の専門紙を出している方など、プロばかり」そんな中での優勝だった。

2000年、島根県のタウン誌『ラズダ』編集長を経て、翌年、ふるさと鳥取へ。「30歳で地元に帰り、鳥取をおもしろくしたい!」そう決めていたのだ。
鳥取に帰るとすぐに、鳥取市観光プロデューサーに就任。4年間の任期中には、大好物だというイカを使って〝いか丼〟を考案するなど、植田隊員の活動は、当時から確かに目立っていた。
2005年、観光プロデューサーの任期を終えると、民間企業からの誘いを断り、鳥取情報文化研究所を設立。誰からも縛られず「常に、地域を、自分の住んでいる場所を、楽しくしたいと思って活動しています」と柔軟だ。肩書きだけでも〝29(にく)ロードネットワークの事務局長〟や〝鳥取とうふちくわ総研(B-1グランプリの出展団体の代表)〟など、様々な〝鳥取のたのしい〟を先陣切って仕掛けている。

「何かと何かを比較して〝ここには独自のものがあるな〟と発見するのが好きなんです」それは、子どもの頃から変わらない。そして、比較するには、その両者を突きつめる必要がある。だから、植田隊員から溢れ出てくる情報は無尽蔵。ひとつ何かを投げかけると、それに対して何倍・何十倍もの情報を与えてくれる。この場では書けないことだって、いっぱい話してくれた。
「地方になればなるほど、自主規制が激しいと思っているんですね。〝あれやっちゃダメ〟とか〝そんなことをやったって売れません〟〝そんなこと鳥取でやるべきことじゃない〟とか。それを打破したいんですよね」と植田隊員。

このひとになら鳥取のおもしろい未来を任せられる! と思わせてくれる、確かな説得力があるのだ。

鳥取県鳥取市出身
宝島社、鳥取市観光プロデューサー、現職
鳥取の常識はよその非常識、鳥取に未知との遭遇をしにお越しください。