島根県松江市が〝水の都〟といわれる所以(ゆえん)の宍道湖は、日本で7番目に大きな湖。その湖岸に「水と調和する」ことをひとつのテーマとした島根県立美術館がある。宍道湖に向かって大きく設けられたガラス張りのロビーは、芝生の庭越しに「日本の夕陽百選」に選ばれる折り紙つきの夕焼けが眺められるスポットだ。
ロビーのソファに座って待っていてくれたのは、JR西日本米子支社のCMで見せてくれるやさしい笑顔が印象的な、御秒奈々隊員。今年(2017年)、長女を出産してママになったばかりだが、ちっとも変わらないスタイル。余談ながら、その体型キープの秘訣を訊いてみた。「遊びながら、楽しみながらじゃないと続かなくて。ただ走るだけっていうのは得意ではないので、バスケットボールをしたり、山登りをしたり、体を動かすことが好きですね。食事は、食べ過ぎないこと。体が欲してるなと感じるものを食べるようにしているかな」との回答。ご参考までに。
御秒隊員は、松江市の出身。小学1年生までの3年間を隠岐島で過ごした以外は、ずっと宍道湖の側で育った。子どもの頃の思い出は、「母のウォーキングについて一緒に歩いた宍道湖岸や、家族で出かけた三瓶山、千通山、吾妻山など中国山地の山々」と話し、華奢(きゃしゃ)なイメージとは違って、根っからのアスリート体質。中学校でバスケットボール部、高校では登山部に所属し、今も時間を見つけてはバスケの練習に通うほどだ。
高校時代は、伝統美観地区に指定される武家屋敷通り〝塩見縄手〟が通学路。朝6時頃、「人も車もいないこの空間を、ひとり占めしたような時間が好きでした」と懐かしむ。
授業では、物理が得意な理系女子。自然が好きで、身近な自然現象が数式できれいに表される物理に感動。「自然界ってすごい! 人間が存在するよりもずっと太古から、水があって、緑があって、そういうことが数式で表される世界があるということに驚きました」こうして、大学は工学部に進んだ。
「光技術の方面から自然界へアプローチして、世界の食糧難や自然破壊の解決に貢献したいと思っていました。結局は、全然関係ない方向に進んでますけど」とチャーミングに笑う。
芸能界入りのきっかけは、大学1年生のとき、大阪・梅田でスカウトされたこと。
「松江から都会に出て、知らない世界がいっぱいあることにびっくりしていました。そのときは、とにかく新しいこと、出会ったことのない世界にチャレンジしてみたいという気持だったんです。そのチャンスが、たまたまた芸能界だった」というわけだ。
2006年、芸能界デビュー。『ミス・マガジン2006』でセミファイナルに進出して注目を集める。
大学卒業後は、「やはりおもしろかったので、もうちょっとしたいな」と、そのまま芸能界へ進んだ。いろんな場所に行き、いろんな人と出会い、いろんな話を聞けることが、御秒隊員の知的好奇心を満たしていった。「普通に生活をしていたら経験できなことができる、そんな今の仕事が好きなんです」
2014年、JR西日本米子支社のイメージモデル『山陰魅力発信特使』に就任。特急やくも号をはじめ、JRのテレビCMの顔となり、山陰に帰ると「あっ〝やくものひと〟だ!」と声をかけられことも多くなった。
実は御秒隊員、高校を卒業して松江を離れるとき、友人たちとこんな話をしていたとう。「私たちみんな地元が好きで、それぞれ進路は違うけれど、いつかは地元に恩返しができたらいいねって話していました。ですから、山陰でお仕事をさせていただけることがすごく嬉しいんです」
芸能界に入って約10年、東京へ拠点を移す話も度々あったのだが、「東京まで行くと山陰が遠くなるから」と固辞。それくらい地元が大好きなのだ。
「山陰を離れて、当たり前が当たり前じゃなかったことに気づいたんです。地元では、普通にスーパーで買ったお魚がおいしいし、お米もお水もおいしい。それが、どれほど恵まれた環境だったのかと、あらためて実感しました」
今回は、ママになって初めての里帰り。荷物を置いて親子で一番に訪れたのが、宍道湖岸だった。
「〝お母さんは、ずっとここを歩いてたんだよ〟と話しながお散歩をしました。もう少し大きくなったら、いっぱい連れて帰りたいなって思います」と、やさしい表情になる。
ママになって、また新たな魅力が加わった御秒隊員、今後の活躍が楽しみでしょうがない。
島根県松江市出身
まだまだ知らない山陰の「いいもの」との出逢いが楽しみです!
よろしくお願いします。