2018年に山岳信仰の霊山として開山1300年を迎える大山の姿を、最も美しく眺められる場所。鳥取県西伯郡伯耆町に建つ『植田正治写真美術館』は、境港市出身の世界的写真家・植田正治(1913~2000)の個人美術館だ。
そして、「自分の作品の原点は植田先生。仕事でしんどかったり、煮詰まったりすると、いつもここに来ます」と話す写真家がいる。柄木孝志隊員だ。カメラマンであり、地域活性プロデューサーであり、とっとりバーガーフェスタの仕掛け人であり──そのマルチな活躍を支えるものは、一体何なのだろう。
柄木隊員は「生粋の大阪人」だ。小中高大とバスケットボールに打ち込み、大学卒業後、スポーツインストラクターを経て、出版業界で10年間、雑誌編集に携わる。当時は、日を跨いでの残業は当たり前、休みがないのも珍しくはなかった仕事環境。そんな慌ただしい日々に疲れ果て、都会から一度離れてみたいと思うようになっていた。
「大山には仕事で数回来ていて、いい場所だなと思っていた」ただそれだけの理由で、大山を仰ぐ米子市に移り住むことを決めた。縁もゆかりも、思い入れもない土地、もちろん知人もいない。「本当に衝動的でした。極端な話、米子が自分に合わなければ帰ればいいや、そんな感覚でした」
2002年、Iターン。当面の生活費のために経験を活かして地元の広告代理店や、付き合いのあった大阪の会社から仕事を受けていた。そんな生活が1年半ほど続いたとき「結局、自分はこの仕事が好きなんだな」と確信できたのだという。
そんな頃に知り合った友人がきっかけで、現在も籍を置くHP制作会社に入社。同社が、大山王国プロジェクトを展開するNPO法人の事務所も兼ねていたことから、地域おこしに興味をもち、本格的に写真を撮ることになる。それまで、風景写真はほとんど撮ってこなかったが、「自分が一番感動したのは山陰の美しい風景。その素晴らしさを撮影し、発信したい」そう思ったことが、現在のベースとなっている。
柄木隊員が山陰の風景を撮りはじため当時、「大山は本当にいろんな表情をみせてくれる。自然は24時間生きているんだと。ただ、自分が出かけて美しいと思える場所、時間帯の素材を当時写真としてあまり見かけることはなかった。ならば、自分が撮って伝えてみようと」そう感じて、行動に移したのだ。
鳥取県を車で走り回った柄木隊員。「道のある所は全て行きました」といい、その走行距離は、8年間で約52万km。地球約13周分の距離になる。
「道のない所は歩いて入り、何度も危険な目に遭っています」と笑い、「職務質問も何回されたことか」と楽しそうに振り返る。こうして完成したのが、山陰の四季を神秘的な美しさで魅せてくれる写真集『瞬/matataku』。大山の山頂から太陽がのぼる瞬間の「ダイヤモンド大山」が広く知られるようになったのも、柄木隊員の撮った写真の功績だ。そして、この写真集に対して届く読者の声がうれしいという。──息子が大学進学で東京に行きました。ふるさとを忘れないで欲しいと思い、この写真集を渡しました──というお母さんからの手紙。あるいは──自分のふるさとを、こんなに美しく表現してくれてありがとう──と綴られた東京在住の方からの手紙。
柄木隊員にとって、地域活性で最も大事なことは「自慢すること」。地域を誇りに思っている人が多ければ多いほど、その町は元気であるという考え方だ。
それは、米子に来た当初、ほとんどの人が言った「なんでこんなところに」と卑下するような言葉が引き金になっている。地元の人たちに「うちの水うまいだろ」「暮らしやすいだろ」「大山綺麗だろ」と胸を張ってもらえるようにしたい。そうするには「自分に何ができるか」と考えたとき、最も感動した風景を撮ることであり、大山を舞台にした「とっとりバーガーフェスタ」を開催することだったのだ。
2009年からはじまった「とっとりバーガーフェスタ」。大山のイベントで1万人集まれば大成功といわれるなか、5万人を集客する日本最大のご当地バーガーの祭典だ。
「出てきては消えを繰り返すご当地グルメではなく、参加団体には、ちゃんと地元で産業として成り立つかというところまで審査します。グランプリを決めるのも、お客様の投票だけでなく、全国から経営や食や地域おこしなどの専門家を10名招いて徹底的に審査を行います。労力としては通常の2倍3倍。それでも、我々はイベント屋ではないので、誰ひとり儲けていません。毎回が赤字覚悟です(笑)」。それでも続ける理由は「責任」なのだときっぱり。
そこまで柄木隊員を突き動かすものは、一体何だったのかという問いに「2つある」と答えてくれた。
「ひとつは、住んでみて、ものすごく地域の魅力を感じたということ。そしてもうひとつは、大阪から来たこんな生意気な人間に対して、みんながやさしくしてくれて助けてくれて、活動する場を与えてくれたこと。そういう方々に対して、自分はどうやったら恩返しができるんだろうと常に考えています。それが僕の原動力」
こうした柄木隊員の成功例に、全国の自治体や企業などが注目したことは言うまでもない。そして、すでに「日本」という括りで、活動のステージはさらに広がっている。
自分の目で足で感性で、そこにあるのに誰も気づかなかった魅力を、私たちの目の前に見せてくれる柄木隊員。彼は一体、地球を何百周、あるいは何千周するのだろう。その先には、どんな魅力的な世界が広がっているのだろう。
大阪府出身
写真集 瞬(matataku)を発刊するなど、写真を通じて地元の美しさを伝えています。