隊員の部屋

城下町松江を流れる京橋川沿い、遊覧船「ぐるっと松江堀川めぐり」の発着場があるカラコロ広場からすぐの場所。日本酒と蕎麦の店「そば遊山」のカウンターで、一献傾ける姿が様になっている、石原美和隊員。
松江市出身。島根大学教育学部在学中、アルバイトでFMラジオのパーソナリティーを務め、卒業後、地元の放送局にアナウンサーとして入社。

現在は、フリーランスとなって多方面で活躍する一方、きき酒師(SSI認定)の資格を取得。ライフワークとして、山陰の地酒の魅力を積極的に発信する。『しまね酒楽探訪』(平成25年 出版)、『とっとり酒楽探訪』(平成27年 出版)の著書がある。

「自分はテレビの世界に向いてない」と、石原隊員はテレビ局を退社する。プロダクションからの誘いも断っていた。けれど「向き不向きは他人(ひと)に決めてもらってもいいんじゃないの」という言葉に目からウロコが落ちた。アナウンサーは誰にでもできる仕事ではないはず。「求められることに応えていこう」そう決めると、順調に仕事が舞い込んで来た。

気がつくと「やっぱりアナウンサーが私の本業かしら」とやっと思えるようになっていった。
フリーアナウンサーの活動が10年程経ったころ、「地元の方々に助けられながら、支えられながら、私は仕事ができている。その恩返しをしたい」と考えるようになる。それも本業以外で。

そんなとき、たまたま目にとまったのが文化教室の「日本酒講座」だった。当時はワイン好きだったというが、「日本人なんだからまずは日本酒を勉強してみよう」そんな思いで受講を決めた。ある日の酒販店でのこと。
種類の多さに呆然として棚を眺めていると、「これは右と左、味が違うんだよ」と声をかけられた。どう見てもラベルもビンも同じなのに「なぜですか?」と訊ねると、「新酒と一年越しの違い」との答え。迷わず両方を購入し、飲み比べてみた。確かにぜんぜん違う味がした。そして、なぜかそのとき「このお酒をつくったひとの顔が浮かんできて。実際に会いに行ったら想像通りのひとでした。
つくり手の思いが味に出るんだなって感激したのを覚えています」この体験をきっかけに、山陰の酒蔵探訪が始まることになる。

本業の休みを利用して、たったひとりの酒蔵探訪がスタート。 すると最初に訪ねた島根の酒蔵で、抱いていたイメージは覆された。「お酒って、おじいちゃんがつくっているイメージでした。ところが実際は、20代から40代の若い世代が中心。さらに、島根の地酒の味に惹かれて北海道や広島からIターンした蔵人さんがいらしたことにびっくり。地酒を応援することは、永住支援にもつながるのではと気づかされました」

鳥取の酒蔵を最初に訪ねたときは、社長がお酒の話はしないで、お米の話ばかりされることに驚く。あまりに熱く語られるので「その農家さんを紹介してください」と頼み、すぐに会いに行った。そこから、お米が収穫されるまでの半年間、毎月欠かすことなく通い続けて、農家探訪も始まっていた。

現在、石原隊員のところには、日本酒に関する講演依頼が多く舞い込んでいるが、必ず農業がいかに大切かを伝えている。
「自然はひとの手の加え方次第で良くも悪くもなります。たとえば田んぼは、1年でも止めてしまうと次の年にはもう水が入り難くなる。そんな自然を目の当たりにして、つくり続けられる環境がいかに大切かを痛感。自然の循環の中で、ひとの手がきちんと入れられてこそ、おいしいお米が育ち、おいしいお酒になり、私たちは楽しむことができるのです」平成28年5月には生産者と共に「環境農業を広める会」を結成。県内外からサポーターを募り、無農薬・減農薬野菜などの野菜や果物を定期的に届ける活動の支援も行っている。「とにかく真面目にいいことをやっているひとを応援したい」という石原隊員。それは地酒や農業に留まらず、自分だからできるかたちで、次の世代が育つような支援を続けていきたいということだ。

島根県松江市出身。山陰中央テレビアナウンサーを経て、フリーアナウンサーとして司会・ナレーション担当。(古代出雲歴史博物館音声ガイドナレーション他)きき酒師の資格を取得。山陰中央新報で「sun-in酒楽探訪」3年間連載。2013年に「しまね酒楽探訪」、2015年「とっとり酒楽探訪」(今井出版)を出版。日本酒ファンを増やすべく、しまね地酒マイスター検定を企画。その他、イベント企画、講演、研修講師(JR米子掌区放送技能向上研修担当)、ライターとしても活動中。