隊員の部屋

島根県の名所である国宝松江城や、松江しんじ湖温泉からも徒歩圏内の松江市西茶町、大通りから横道に入ると、喫茶『MG』がある。昭和44年(1969)からずっとこの地で営業を続ける、若者たちが最先端の音楽を持ち寄った聖地的場所だ。

カウンターの後ろの席、黒い革張りの椅子が、ロック・ギタリスト山本恭司隊員の〝いつもの席〟。
「落ち着きますね。ほぼ100%ここだもんね」と腰を下ろすと、「いつものバナジュー、作りますね」と、〝あっちゃん〟ことMGの浅野敦子さんが応える。通い詰めた高校生のときから変わらないメニュー〝カツ丼と食後にバナナジュース〟は、いつしか〝恭司セット〟と呼ばれるようになっていた。ミュージシャン山本恭司を語るとき、MGなしにはあり得ない。それくらい大きな存在の店内では、天才ギタリストもかつての音楽少年の顔になる。

島根県松江市で生まれ、高校卒業まで地元で過ごした山本隊員。幼い頃から、常に身近に音楽があった。隣の部屋からはいつも、お姉さんが奏でるバイオリンの音色が聞こえていた。まだ幼稚園に入る前のことだ。
「曲名でいうと〝ユーモレスク〟と〝ハンガリア舞曲第5番〟が特に印象に残っていて、そのバイオリンの音色には物悲しさもありましたね。たとえば、今の僕の決してカラッとしていない、どこかウェットな〝泣き系のギター〟は、姉が聴かせてくれた音楽にルーツがあるような気がします」と分析する。

小学校3・4年くらいからは音楽教室に通い、足踏みオルガンを習うようになると、よくハーモニカを吹いてくれていたお父さんが、「足踏みオルガンもアドリブで弾いちゃうんですよ。それも、すごく軽快にね。習ったことはないはずなのに、とてもリズミカルな演奏だった。そんなところにも影響を受けているのかな」と、幼い頃の楽しい音楽体験を振り返る。

ロック・ギターにのめり込んだのは、高校生になってから。きっかけは、松江の映画館で観た『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』、ロック・フェスティバルのドキュメンタリー映画だった。それからは、ハードケースにギターと教科書を入れて学校に通い、もちろん、デートのときだってギターを忘れない。すると、ギターをはじめて1年ほどの高2の頃には、すでに技術はセミプロ級。当時盛んだったダンスパーティーでレギュラー演奏をするまでになっていた。

「高校の3年間で、人の10年分くらいは練習したと思います。17歳の頃のステージがyoutube(※動画サイト)にあがっていて、すでに今の演奏に近いんですよ。アームも使うし、フィードバックも使うし、ハムバッカーを埋めたギターを持ってましたし。2年目で出来上がってた感じ」というほど。

そんな天才ギター少年が生まれる過程には、高校の同級生、俳優の佐野史郎氏がいた。当時まだ、単音リフでギターを弾いていた頃の山本少年に、コードを教えたのも佐野氏だったのだ。
「佐野からは、いっぱいロックのレコードを借りて、いろんな音楽を教えてもらった。ここMGもね」と楽しそうに笑う。
夏休みには毎日、MGに通い詰めて音楽漬け。この頃の山本少年は「ギターと恋とカツ丼(笑)」の日々を送っていた。

高校を卒業すると、迷うことなく音楽の道を目指して、ヤマハ・ネム音楽院に入学。当時から〝天才ギタリスト〟と呼ばれる存在だった山本隊員は、在学中、オーディションを受けて、ハードロックバンドBOWWOWのリード・ギタリスト、リード・ヴォーカルに抜擢される。
以降の活躍は、21歳でエアロスミス、キッスの日本公演のオープニング・アクトととして参加したり、英国ロンドンに拠点を移し、約4年間、ヨーロッパやアメリカでキャリアを積むなど目覚ましく、ここでは到底、紹介し尽くせない。

世界的に活躍する山本隊員が、『小泉八雲 朗読のしらべ』に参加したのは、2007年のこと。佐野氏から「八雲作品の朗読に効果音をつけるのは、恭司がぴったりだろう」と誘われた。
「子どもの頃から、塩見縄手の小泉八雲旧居には行っていて、松江人は〝ヘルンさん〟と呼んで親しみがあるから」と快諾。以来、毎年松江市で開催する一方、国内はもとより、八雲ゆかりのギリシャやアイルランドでの海外公演も成功させて、今では大切なライフワークとなっている。

バンド活動以外でも、ジャズやアコースティックなど他ジャンルのミュージシャンとのセッションやプロデュースまで、幅広い音楽シーンで活躍を続ける山本隊員。
ライヴをすれば、国内各地、さらにはイギリスやフランスなど、海外からもファンが集まる。そのステージでも、またSNSでも、積極的に地元を紹介し、松江ファンを増やしている。
この日、取材終わりに、あっちゃんがかけてくれたのは、東日本大震災復興支援アルバム『Inori~Rebuilding Lives~』。「感情が抑えきれなくて弾いた」ギターの音色は、壮大で、深淵で、そして優しく、ロック・ギタリスト山本恭司の美しいスピリットが心に響いて、胸がしめつけられたほどだった。

島根県松江市出身
1976年ハードロックバンドBOWWOWのギタリスト、シンガーとしてデビュー。
その後VOW WOWと改名しイギリスを拠点に活動。
現在はバンド活動と並行し、弾き語り弾きまくりギター三昧等のソロ活動や
佐野史郎との小泉八雲朗読の夕べで全国を回る。