隊員の部屋

国宝松江城の内堀に沿って続く塩見縄手の交差点に、武家屋敷を彷彿させる門構えの『小泉八雲記念館』がある。2016年に従来の3倍の面積に増床され、展示構成も拡充・一新された館内は、より興味深く、そして楽しく、八雲の生涯を体感できるミュージアムだ。
エントランスロビーでは、八雲の生涯を紹介するビデオが上映されている。本編には八雲がシルエットで登場するわけだが、演じているのは八雲のひ孫で民俗学者、小泉凡隊員である。1度聞けば忘れられない名前の由来は、八雲に影響を受けて日本の戦後を考え、象徴天皇制という今の平和な日本の誕生に大きな貢献をしたアメリカの准将ボナー・フェラーズにあやかったもの。ボナー(Bonner)からBonをいただき、祖父・一雄が初孫に名づけた。

松江市民になって30年になる小泉隊員は、東京都の出身。当時、世田谷区二子玉川に唯一あった産婦人科病院で産声をあげた。そこに、祖父がお見舞いに来るわけだが、待合室に飾られた写真を見て驚いた。それは松江に広がる宍道湖の風景だった。
「祖父がその理由を訊ねると、院長先生が松江市雑賀町の出身だとわかって。生まれたときから松江とご縁があったんですね」
幼い頃から乗り物が好きだった小泉隊員は、小学校の高学年になると、日帰りでひとり旅に出かけるようになる。中学生になると、急行列車が乗り放題になる国鉄の周遊券で、山梨県や長野県、さらには東北地方まで距離を伸ばして、泊まりがけでひとり旅をするようになった。

「よく家出少年と間違われて、何度も警察に通報されていました」と照れ笑い。ご両親は「この子は旅が好きだから」と理解して何も言わず、叱ることもなかったという。
小泉少年は旅に出ると、必ず日記を書いた。小さくて丁寧な文字、細かく描き込まれた達者なイラスト、何十冊あるいは何百冊か、「備忘録のような」その手帳は大切に残されている。
「今思えば、旅好きだったことが民俗学をやるきっかけでもあったし、松江に移住するきっかけでもあった。八雲から唯一遺伝したのは、『漂泊の魂』ってことかな」と話す小泉隊員にとって、旅に出ることは、抑えきれない衝動に駆られる感覚であるという。「何ヶ月間か旅に出てないと、なにか堪らなくなってしまう。食欲とか性欲とかいいますけど、私にとっては旅欲がそれ。本能的な欲求だと思います。日本でいえば、全県庁所在地には行っていますね」というほどだ。

旅好きが高じて大学では民俗学を専攻。民俗学サークルにも所属した。フィールドワークを行って民俗調査報告書を作成したり、大学院生のときには全国山村調査にも参加した。
「都会ではなくて地方の生活に引かれました。それも八雲に通ずるものがあるのかもしれません。今思えばね」
小泉隊員が、八雲の研究をはじめたのは24歳、院生のときだ。きっかけは、英語の論文を翻訳するという文化人類学の課題だった。何を読んでいいのか迷っていたところに、友人が『アメリカ民俗学会誌』に収録された「Lafcadio Hearn, An American Folklorist(アメリカの民俗学者ラフカディオ・ハーン)」(1978年)という論文を見せてくれた。「じゃあ、ちょっと目を通してみようか」それくらいの気持ちで読んでみた。すると───目からウロコが落ちた。

「まだアメリカに民俗学会がなかった頃、八雲は草分けとして活動を行い、アメリカの民俗学の基礎をつくったということが書いてあって。さらに、日本に渡っても同様の活動を続けたことが、非常に先駆的な取り組みであると書いてあったんです」このとき小泉隊員は初めて、先祖のことに関心を持ったという。
こうして、先生に「私の出来ることは、民俗学の流れの中に小泉八雲を位置づけることなのでは」と相談すると、「それはあなたしかできないこと。やりなさい」と答えをくれた。

小泉隊員は、1986年(昭和61)、八雲生誕の地ギリシャ・レフカダ島で開催された小泉八雲生誕祭に招待される。同行者には、当時の松江市長、中村芳二郎がいた。そのとき、中村市長から「松江が好きで度々来てるみたいだけど、移住する気はないか」と打診され、説得された。すでに東京で、母校の社会科の先生になることが内定していたが、迷うことなく、その翌年には松江市民になっていた。学生時代、民俗調査で日本各地を回った小泉隊員にとって、最も興味深かった土地のひとつが出雲地方。「東京ではなく、松江のほうが魅力的」だったのだ。

現在、島根県立大学短期大学部で教鞭を執りながら、小泉八雲記念館の館長、焼津小泉八雲記念館の名誉館長などに加えて、山陰日本アイルランド協会の活動や、執筆・講演など、日本に留まることなく多忙である。
直近の話題では、小泉隊員が訪問したことをきっかけに、2015年、八雲が幼少期を過ごしたアイルランド・トラモアに小泉八雲庭園がオープン。世界中から人々が訪れる観光地になっているという。そして今年(2017年)、アイルランドとの友好親善に貢献したとして外務大臣表彰を受けた。
「突然、安倍首相の官邸に呼び出されて。何かと思ったら、アイルランドのエンダ・ケニー首相(当時)がいらして、〝庭園を日愛の文化交流の新しい拠点にするから協力して欲しい〟と言われたんです。ローカルな話が、国レベルになってる!って驚きましたけど、嬉しかったですね」と率直な感想。
来期からは、大学で授業は続けるが、常勤教員としての運営業務からは身を引く予定。確保できる自由な時間は、八雲の精神を広めて社会に活かす活動に、より費やされて行くのだろう。
幸いなことにすでに私たちは、小泉隊員の奔走によって、優れた文学は愛読者が鑑賞して楽しむもの、あるいは研究者の研究対象になるものといった枠を越えて、地域資源に成り得るものという、新たなロールモデルの誕生過程を目撃できているのだ。

東京都世田谷区出身
「いいもの探県」は、人々をオープン・マインドにし、現代に必要な地域の宝を資源として活かす、そんな着想を広げることに貢献します。怪談も妖怪も大切な文化資源です。