隊員の部屋

鳥取県東伯郡三朝町は、修験道の行場として706年(慶雲3)に開山された三徳山と、世界屈指のラドン泉が湧く三朝温泉が、2015年、日本遺産第1号に認定されたエリアである。ことに、三徳山に鎮まる三佛寺の奥院「投入堂」は、断崖絶壁に建つ偉容と、平安時代後期の材料が今も健在であるなど、その価値の高さから県内唯一の国宝建造物に指定されている。
三徳山三佛寺の執事次長を勤める米田良順隊員は、鳥取牛骨ラーメン応麺団の団長というもうひとつの顔を持つ才人だ。お寺とラーメン、まるで相容れないと思われる両者だが、そこには、なるほどとうなずかされる説得力があった。

1300年以上の歴史を有する三徳山三佛寺の、住職の次男として生まれた米田隊員。「物心ついた頃から父について本堂まで上がっていました」というほど、三徳山を遊び場のようにして育った。
小学生の頃は、夏休みになると、午前中にひとりで投入堂まで登って下山する。午後から友達が遊びに来れば「じゃあ投入堂まで行こうか」といってまた登る。米田少年にとって「日本一危ない国宝鑑賞」のフレーズがつけられた修行の場は絶好の遊び場、フィールドアスレチックみたいだったのだ。
「あの頃は、最短30分くらいで往復していましたから、いい大人がゼイゼイ言いながら休憩している姿を見て不思議だったんですよ。今39歳ですが、この年になって休憩は大切だと思いますね(笑)」
地元で中学を卒業すると、滋賀県の比叡山高校へ進学する。「次男ですから、あまりお寺のことは考えず、好き勝手させてもらいました」と話し、卒業後は、京都の池坊文化学院で華道・茶道を学んだ。そして、友人と「IT系の会社を立ち上げようと話していた」ところに、住職から「三徳山の開山1300年祭で大きな行事が控えている。戻って手伝ってもらえないか」と連絡が入った。

「無事に開山祭の行事が全部終わるまで」という思いで、2003年、実家である三佛寺に戻った米田隊員。真っ先に感じたことは、地元の良さを自ら発信しようとしない消極性に対するもどかしさだった。
そこで、米田隊員は独自でイベントを企画する。「投入堂の屋根の一部を修復した完成記念祝い法要を、普段は一切人が入れない投入堂の中で行おう。全国から3名だけ法要に参列していただける人を公募で決めよう」というものだった。条件は2つ。18歳以上。応募理由を原稿用紙1枚以上、必ず手書きで提出すること。早速、HPで発表し、4ヶ月の期限をつけた。しかし最初の3ヵ月で届いた書類は、わずか2通だけだった。

そんな崖っぷちのとき、たまたまHPを見たという読売新聞社から「ぜひとも取り扱わせてください!」と取材が入り、関西一円の夕刊に掲載された。するとその瞬間から、問い合せの電話が鳴り止まなくなった。3日後4日後、ぼつぼつと郵便が届くようになる。次第に輪ゴムで束ねて、最終的には段ボールで届くようになった。結果、応募総数は約600通となった。
特に、投入堂を新しく塗り替えたとか、ライトアップしたというわけでもなく、昔からある素材はそのままに、「活用方法次第で、メディアに扱ってもらえて、注目していただけることになる」と、米田隊員は再認識したのだった。

「“観光”とは、読んで字の如く“光を観る”ということ。この“光”とは、そこにしかないもの、そこにしかない文化のこと。この光を観ることが観光なんです」
つまり、三徳山にとっての光は平安時代の建造物である国宝「投入堂」であり、1300年以上前から続く自然崇拝の修行場であるわけだ。
そして、牛骨ラーメンも同じ光なのであるという。「牛骨ラーメンも地元に昔からあるもの。かつて牛馬市で栄え、畜産業が盛んな土地だったことで根付いた食文化なのです」
地元の光を上手く発信し、県外で注目してもらえれば、地元の人も「これが地元の誇り、光なのかな」と考えられるようになる。米田隊員が仕掛けたこの現象は、中学生をはじめ多くの若者を巻き込んで、確かに地元を元気にしていっている。

三佛寺は、参拝者の入山料で維持管理費を捻出する、檀家を持たないお寺である。
2016年10月21日午後2時7分、鳥取県中部地震が起こった際には、翌日からのツアーが100%キャンセルとなった。まさに死活問題だった。

「参道の岩盤がひび割れ、危険で登れない。でも、早くなんとかしたい」と、米田隊員が出した答えはクラウドファンディングだった。
「住職や母は反対でしたね。“寄付というのは顔を合わせて、頭を下げてお願いするものだ”と言って」。それでもなんとか「億の単位で必要な全体の修復費用には到底及ばないけれど、少しでも足しになれば。自分がやるから」と、“米田良順“の名でクラウドファンディングを実施。目標金額は200万円。迂回路の設置費用だ。

蓋を開けてみると、1ヵ月で900万円を超える異例ともいえる支援が集まった。添えられた励ましのコメントに家族一同で涙した。地震から約半年後に迂回路が完成し、無事、入山が再開された。
「匿名性で無機質なものというイメージだったインターネットですが、ひとつひとつのコメントの向こう側には、熱い思いをもった人が存在しているとわかり、両親のイメージも変わりました」
2017年12月18日には、利用したクラウドファンディングREADYFOR主催「READYFOR OF THE YEAR 2017」の授賞式に出席。年間数1200件中の6件のひとつに選出され、優秀賞を受賞した。

「1300有余年という気の遠くなるような歴史は、これからも絶えることなくさらに続いて行く。その尊い時間はきっと、こうして新しい風を吹き込んでこそ継承されてい行くものなのだろう。

鳥取県三朝町出身
山陰には食・歴史・風習など多くの魅力的な独自文化が残されています。
また古刹と呼ばれる社寺も数多くあり、日本原風景が残されているのが山陰だと思います。
様々な魅力が発信できればと思っています。