隊員の部屋

島根県松江市美保関町に、七福神のおひとり「えびす様」の総本宮であり、出雲大社との両参りでご利益が倍増するといわれる美保神社がある。そのお膝元に、貞享3年(1686)、酒造業として創業したのが、海産物の加工品や、山陰銘菓「どじょう掬いまんじゅう」などで知られる中浦食品(株)の前身だ。
現在、東出雲町に構える本社を訊ねてお会いするのは、鷦鷯順隊員。創業から数えて17代目、中浦食品3代目社長である。珍しい「鷦鷯」姓は、仁徳天皇の名「大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)」に由来するという説もあるのだとか。「とにかく画数が多くて、子供の頃、習字で名前を書くと真っ黒になった」そんな楽しいエピソードからはじまった。

幼い頃は、美保神社の境内で野球をしていたという鷦鷯隊員。夏は目の前の海で泳いだり魚を釣ったり、裏山に登って虫取りに興じたり、美保関の自然が遊び場だった。
中学生くらいになると、休みには家業の配達のアルバイトが日課となった。海産物の加工品を荷台いっぱいに積んだトラックの助手席に乗り、JR米子駅から皆生温泉、大山周辺から三朝温泉、そして鳥取砂丘までを往復した。帰りはフェリーがなくなる夜遅い時間。「あの頃はまだ、境水道大橋はなかったから、松江をぐるっと遠回りして帰らなくてはならなかったですね」と懐かしむ。
団体のお客さんが合同汽船で大挙した時代、鷦鷯少年たちは紙テープを手に、帰って行くお客さんを見送った。今は静かな風情が売りの青石畳通りだが、当時は、軒を連ねる旅館や店舗で大変賑わっていた時代だという。
高校に上がると、美保関を出て松江市街で下宿すると、そのまま大学進学のため東京へ。経営学を専攻して、音楽サークルに入りギターを弾いた。
「ブルーグラスというジャンル。今でもギター2本と、フラットマンドリン、バンジョーを持ってるけど、時間がとれなくて、もう何年も触っていないな」と残念そうだ。
大学卒業後は、経営コンサルタント業界のパイオニアと言われる大阪の企業に就職するが、家業のように「物を扱う仕事がしたい」と願い出て、食品会社へ転職する。ところが、配属されたのは総務部。「就業規則の整理やシステム設計、会社の設立にも携わりました。結局、物を扱うことはなかったけれど、今思うと良い経験」になったのだった。

昭和60年(1985)、中浦食品に入社。「どじょう掬いまんじゅう」の製造ラインにも立った。
「その頃はまだ、全部手作業でしたね。焼き上がった饅頭が8列で出てきて、それを次々取っていかないといけない。だから、ちょっとでも失敗すると渋滞がおこる。冷ましてから目をつけるんですけど、力が強すぎるとズボッと中まで入っちゃう(笑)。今はもちろん全部自動で、当時とは味も別物です」と話す「どじょう掬いまんじゅう」は昭和42年に発売開始、今年で51年のロングセラー商品だ。
昭和64年(1989)、専務に就任。各支店を株式会社として独立させ、工場には完全自動化ラインを導入。鳥取県境港市に「大漁市場なかうら」をオープンさせるなど、改革を推進していく。

平成9年(1997)、社長に就任。4年前(2014年)、本社・松江工場を現在の東出雲町に新築移転し、翌年には食品加工の安全認証規格「FSSC22000」を取得。食品衛生環境基準で世界一ハードルの高い基準を誇る。場内には工場見学コースも整備されて、年間約60団体が来場するという。
この日、見学終わりにいただいた焼きたての「どじょう掬いまんじゅう」は、白あんを包んだバター風味の皮がサクッとクッキーのようで、ここでしか味わえない楽しいおいしい発見だった。そして、この商品のCMが〝ローカルCM全国大会〟においてグランプリを受賞したり、「するめ糀漬」が〝めし友グランプリ〟で全国第3位になったりとメディアを賑わすことも多く、話題に事欠くことはない。

同時に時流は、バブル期とその崩壊、米子自動車道の全線開通効果とその後の低迷など上下動を繰り返しながらも、水木しげるロードの完成やNHK朝ドラ効果、出雲大社の遷宮や松江城の国宝指定などの明るい要素もあって、業績の安定にも奏功している。
しかし、どんな時も、鷦鷯隊員の目は常に前を見据えている。

「本当なら本業で伸びていくのが一番良いんですけど。今後、人口が減っていく中で、将来的な柱が新たにつくれたなら」と、ウニの陸上養殖に挑む「貝援隊」事業に参入。間もなく、フィリピンでの養殖をスタートされるという。直近では、鳥取県のジビエを利用した鹿肉のジャーキーが販売間近だ。
社長の仕事は、とにかく忙しい。会議や出張を合わせると年間230日にもなるという。けれど、鷦鷯隊員は、社長という仕事を気持ちよく楽しんでいるように見えて頼もしい。30年来の旧友(!?)というドジョマン監督の応援も受けて、今度はどんな商品と話題で驚かせてくれるのだろうか。きっとそれは、私たちの想像をまたひとつ超えているはずだ。

島根県松江市出身
食を通して山陰の情報発信をしていきます。