探県記 Vol.119

来待ストーン

(2017年9月)

KIMACHI STONE

234

  • クレッツ・ファビアン 隊員

三方を山に閉ざされた古代遺跡のような石切場跡で来待石の歴史や文化を紹介する『来待ストーン』

 

島根県松江市宍道町の来待(きまち)地区を中心に、東西約10㎞・幅2~3㎞に渡って広がるエリアに、1400万年前の火山灰と砂が堆積してできた良質の凝灰質砂岩層があります。ここから採掘される石は「来待石」と呼ばれ、加工しやすい石質から、古くは古墳時代、石棺に使用されていました。また江戸時代には、御止石(おとめいし)と呼ばれて、松江藩の許可なく販売することを禁止。こうして「出雲石灯ろう」は藩の特産品になったといわれています。
 
 
今回の目的地は、来待石の全貌がわかるミュージアム『来待ストーン』。ファビアン隊員とJR宍道駅の和田駅長が、来待石の世界を体験します。
 
体験工房の建物を後にして、駐車場から民家の間を通って石畳の道を進むと、そこに立ちはだかるのは「来待ストーン」の大文字が彫られた巨大な岩壁。思わず見上げたその顔を下ろすと、「石のトンネル」がぽっかりと口を開けていました。来待石の岩盤を約3年間の月日を費やして掘り続け、やっと貫通したというこのトンネルは、これから向かう「来待ストーン」のために掘られた約65mの、期待感を高めてくれるアプローチです。

 
ヒンヤリとして薄暗いトンネルを抜けると、そこは三方を山に閉ざされた石切場跡を利用して、石舞台や、切り立った岩壁を眼前に見上げる石のテラス、レストランを備えたミュージアム棟などが整備された古代史跡のような異空間。
学芸員の古川寛子さんの案内で、来待石の歴史や文化を紹介するミュージアムへ入ります。

 

1400万年前に誕生した来待石は石灯ろうだけじゃない、おしゃれな建築に使われたり!ピザ窯にもなったり!

 
聞こえてくるのは、“カンカン、キーンキーン”という石を叩く音。館内では、往時の“石切の映像”が流されていて、ノミとツルハシを使い人力だけで石を切り出す光景が残されていました。

 
「かなり高い場所ですね。危なくないですか? 」と心配になるファビアン隊員。
「高さは30mくらいあるんじゃないでしょうか。当時はヘルメットも命綱もなくて、大変危ない命がけの仕事でした。昭和40年頃まで機械が入らなかったので、こうして人の手だけで行われていたんですね」と古川さん。

 
“春日灯ろう”ができるまでの作業手順が再現された展示は、あまりに精巧で今にも動き出しそう。
「職人さんの手から型を取らせていただきました」というだけあって、道具を持つ手が本当にリアルです。

 
実物の石灯ろうを触ってみて「表面がざらざらしてる方がいいんですか?」と和田駅長。
「そうなんです。石灯ろうの場合は苔がつきますから」と古川さん。

 
来待石は1400万年前の石なので、珍しい化石も出土。
“パレオパラドキシア”は1300万年前に絶滅した哺乳動物。その左下の顎の骨も展示されています。

 
来待ストーンからほど近い川賀石材店を尋ね、伝統工芸士の伊藤努さんにもお会いしました。
「切ったばかりは青っぽいんですけど、1ヶ月ほど放っておくと茶色っぽくなるんですよ。それが来待石のおもしろいところ」と、水を流しながらの、砥石(といし)で面取りをして磨く作業中の伊藤さん。1枚18㎏の来待石のプレートが100枚以上磨かれて、東京・青山の設計事務所まで出荷されるのだそう。
「今は大理石とかピカピカの石がほとんどだけれど、違うものを欲しがる人が出てきています。来待石は、これからの石なんです」

 
石灯ろうや石塔といったイメージのある来待石ですが、こうして、建築の分野で注目されたり、あるいはピザ窯になったりもするのだそう。来待石の世界は、決して立ち止まることなく、新しく切り拓かれ続けていました。

 

【アクセスについて】
●来待ストーンへのアクセス/JR来待駅より徒歩15分
●島根県松江市宍道町東来待1574-1
【WEBサイト】来待ストーン
 
 

Copyright © sanin-tanken.jp All Rights Reserved