探県記 Vol.135

石見根付

(2018年11月)

IWAMI NETSUKE

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活況を極めた江戸時代から
200年あまりの歳月を経て
今また注目を集める「根付」

 
贅を尽くした小さな骨董品として、美術館や博物館、ギャラリーなどで目にする「根付(ねつけ)」。現代で言うと、根付とはストラップに付いた装飾品のようなもの。昔は印籠(いんろう)や煙草入れと組み合わせ、着物の帯に挟むときに落ちないようにする留め具として使われていました。根付を使用する機会が減った今日では、精緻な造形美が表現された工芸品として、日本だけでなく世界各国のコレクターから注目されています。

 
根付は江戸時代に大流行し、当時は大名から庶民まで、お気に入りを持っていたそうです。最盛期には全国各地で生産され、特に島根県江津市で作られたものは高度な技巧から、「石見もの」「石見派」と称されて人気を集めました。
石見根付の特徴として、素材の一つに他の地域では使われていない猪の牙を用いることが挙げられます。これは中国山地に近く、手に入りやすかったからとされています。図柄はクモ、ムカデ、カエル、亀、カニなど、身近にいる小動物が多く、万葉歌人・柿本人麻呂ゆかりの地らしく和歌を題材にした作品もあります。

 
明治以降、和服を着る人が少なくなると、根付を使用する機会は減り、石見根付もいったん途絶えてしまいました。それを平成に入って復活させたのが、島根県江津市の彫刻家・田中俊睎さんです。
石見根付の祖とされる、清水巌(しみずいわお)一門が駆使した技巧を極めようと、研鑽を積んでいた田中さんに思わぬ方が声をかけました。根付の世界的な研究者でありコレクターとして有名な故高円宮憲仁親王殿下です。平成7年、ちょうど江津市を訪問されていた時のことでした。

 
「石見は猪の牙が特徴でしょう。根付の公募展に出品してみませんか」
このお言葉に背中を押された田中さんは、平成9年「日本の象牙彫刻展」に桜材の『雲龍』を初出品して入選。そして、平成19年に出品した猪の牙を素材とする『渓流』は、最優秀の高円宮賞を受賞。平成29年にはカバの牙を彫った作品『里の秋』が「第40回記念日本の牙角(げかく)彫刻展」で文部科学大臣賞を受賞。一躍、全国に石見根付の素晴らしさが広まりました。

 

“ひと振り、ひと彫り、学び”
手の中に収まる小さな彫刻に
生きざまを刻む石見根付師

 
田中俊睎さんのアトリエを訪ねました。耳を澄ますとシュッシュッと、猪の牙を彫る小さな音が聞こえてきます。
「猪の牙は硬いので、ひっかくようにして少しずつ形を浮き彫りにします。彫ることは時間を刻み、間を取ること。根気を保ち、その時々の生きざまを形に刻み込むことだと思っています」と語る田中さん。
手作りした愛用の左刃を使って、細心の集中力と熟練の技で薄紙をはぐように彫り進めます。小さな作品を一つ仕上げるのに、3カ月以上掛かるそうです。

 
「根付には遊び心が隠されているんですよ」と少年のような笑顔で見せてくださったのは、『春うらら』という作品。猪の牙に、梅の木とカニが彫られています。裏返してみると松の木。もしやと思って目を凝らすと、竹もありました。松竹梅が春の歓びを祝っています。石見根付にはクスッと笑ってしまうような図柄もあり、ずっと眺めていても飽きることがありません。
田中さんは子どもの頃から手先が器用で、宝物のように肥後ナイフをポケットに入れて持ち歩き、木や竹を刻んで、色々なものを作っていたそうです。中学生になると木彫家を目指しましたが、父親の勧めもあって江津工業高等学校に進学。そこで恩師の多々納利雄さんと出会い、工芸の基礎を教わりました。卒業後は、仕事と両立させる生活を選び、会社勤めをしながら彫刻の道を邁進されました。

 
人に恵まれ、石見地方に江戸時代から伝わる長浜人形士・石見神楽面師・安東三郎さん、島根県大田市出身の彫刻家・森本真象(米原雲海門下)さんに師事し、木彫、塑像、ストーンペインティングと多彩な表現を追求されています。
「会社勤めと彫刻を両立させることは難しいことでした。でも、二つの輪を持ったことで逆に助けられ、自由奔放に彫りたいものだけを彫り続けることができました」

 
 すでに定年退職した田中さんですが、現在も作品の受注や販売はされていません。唯一、深い郷土愛から、石見地方の活性化に役立つことなら協力を惜しまず、江津市高角山万葉公園・市民センター・警察署・病院・公共施設、さらには出雲大社にも依頼に応じて作品を寄贈されています。
「これ、自画像なんですよ」と手にされたのは、坐禅を組むカエルの木像。「まだまだ無の境地にはいたりません」。そこには熟達してなお、真摯に魂の修行を続ける名人の姿がありました。

 
 
【アクセスについて】
●田中俊睎アトリエへのアクセス/JR江津駅から車で約9分
●島根県江津市嘉久志町イ1902−2
●お問い合わせ/TEL0855-52-5855
【WEBサイト】島根県