探県記 Vol.55

櫻井家住宅・可部屋集成館

(2016年1月)

SAKURAIKE
KABEYASHUSEIKAN

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たたら製鉄で富を築いた櫻井家に
戦国から伝わる逸品や資料等を展示

 

島根県の奥出雲地方、日本古来の製鉄法“たたら”で栄えた当地には、“鉄師”と呼ばれる経営者がいました。その中でも、松江藩の鉄師筆頭御三家である“櫻井家、田部家、絲原家”は、絶大な力を誇っていました。

 

櫻井家は、奥出雲以前、広島の可部郷という地で鉄山業を営んでいて、正保元年(1644)、3代目の櫻井直重が出雲領の上阿井に移って屋号を『可部屋』とし、“菊一印”の銘鉄を創りだしました。そして、この菊一は、日本最高の鉄砲鍛冶集団である“国友”の年寄脇(としよりわき)、国友一貫斎藤兵衛(くにともいっかんさいとうべい)に「最も良い鉄砲地鉄」として認められ、松江藩より御鉄砲地鉄鍛方も命ぜられていたのです。
 
可部屋集成館は、櫻井家に伝わる和鉄鋼の資料をはじめ、美術工芸品や古文書などを収蔵する歴史資料館。甲冑や日本刀など戦国時代の逸品や、中国の宋・元・明・清時代の水墨画や、狩野派の主軸など、様々な資料が展示されています。

 

国の重要文化財、櫻井家住宅
松平不昧公を迎えた日本庭園も圧巻

 

内谷川の北側、山林を背にして建つ櫻井家は、広さ5600㎡の大邸宅。母屋は、元文3年(1738)に建てられた国の重要文化財です。
 

 

「上の間が一段高くなっていますのは、不昧公をお迎えするために改築したものです」と櫻井家13代当主、櫻井三郎右衛門さん。
 
上の間から眺める日本庭園は、松江藩7代藩主・松平不昧公に命名された庭園『岩浪(がんろう)』。享和3年(1803)、櫻井家に初めて不昧公をお迎えした際に作られた庭園です。
 
櫻井家は元々、戦国の武将・塙団右衛門(ばんだんえもん)の末裔家。団右衛門の娘は伊達政宗の側室となり、伊達家と繋がりがあったのだそう。そして、不昧公の正室は伊達藩主の娘。松江藩主と櫻井家には、そもそも縁があったというわけです。
 

広大な敷地には、後年、南画家・田能村直入が逗留中に意匠して建てられたという茶亭『掬掃亭(きくそうてい)』があります。直入は、深い自然に守られた櫻井家の佇まいを気に入って『清聴軒』と呼び、再訪したのだそう。
「川があり、滝がある、この環境が何ともいえず心地いいですね」と、キャプテンも心酔の様子です。
 
春には遅咲きの桜が美しく、夏には内谷川の流れが涼を運ぶ櫻井家。秋の紅葉はことのほか素晴らしく、奥出雲随一と言われるほどです。

 

【アクセスについて】
●櫻井家住宅・可部屋集成館へのアクセス/JR出雲三成駅より奥出雲交通バス内谷行きで約24分、終点下車徒歩約5分
●島根県仁多郡奥出雲町上阿井1655

【WEBサイト】櫻井家住宅・日本庭園