松平不昧公(治郷)は十七歳のとき、父宗衍の跡を継いで藩主となった。目の前には巨大な借金の山が聳えていた。だが、彼は敢然としてそれに立ち向かおうとした。藩政改革への気魄がみなぎっていた。十八歳からは茶の湯に、十九歳からは禅修行に打ち込んだ。彼は凝り性だった。いいとなると、とことん熱中した。こういう点を見ると、なんだか近寄りがたい性格のように思われる。
ところが、そうではない。あるとき、夫人の 青彡 楽院のために茶を点てることがあった。彼女が茶を喫し、茶碗を白い茶巾でぬぐうと、茶巾に赤い口紅がついた。不昧公はそのとき何も言わず、次のとき赤い茶巾を用意したという。優しい心根である。
不昧公は茶目っ気であった。彼の戯れ歌に次のようなのがある。「茶を立て 道具求て 蕎麦を喰 庭を作りて 月花を見ん」と歌い、「この外望これなし」と後書きし、「大笑々々」とつけ加えている。つまり、茶目っ気たっぷりなことを歌って、後で「冗談々々」と追記しているのだ。また、不昧公が松江にいたとき、江戸天真寺の大巓和尚に送った手紙に、「松江には火事などありませんが、この節、江戸では毎日火事があって、さぞかし面白いでしょう。羨ましいことです」と書いて、「御一笑々々々」とつけ加えている。「冗談ですよ」と断っているのだ。不昧公にこんな側面があると知ると、ぐっと親しみやすい人物になってくるであろう。
1932年島根県斐川町生まれ。しまね文化振興財団理事長。郷土の語部として、古代出雲の魅力や現代に継承される出雲人の精神性を日本中に発信し続ける出雲学の提唱者。ユーモア豊かな語り口から聞こえてくる出雲神話はとても興味深く、また分かりやすい視点で人々を神話の世界に引き込みます。