“米子ってどんな町?”と聴かれることが増えた。国宝を見学するより地元民とのふれあいを通じての地域を知り・学び・楽しみたい。という欲求を満たしたいのだと思う。そういう人は確実に増えており、今後もその傾向は続くだろう。
米子の観光にチャンスが回ってきたように思う。ふれあい観光に一番必要な条件がそろっているからだ。
“米子ってどんな町?”との問には、『にぎょやにぎょやと米子へ逃げて逃げた米子で花が咲く』という古い言い伝えで返すことが多い。
関ケ原後、18万石の大藩となった米子。新天地を求めて諸国からたくさんの人がやってきて江戸時代の繁栄を支えた。(後藤家、鹿島家、坂口家などはいまも健在である。)。
同時に、何かの理由で故郷を追われた人たちもたくさんやってきた。
移住者がつくったまちは他者に寛容であったのだ。建前より本音。ポジィティブで気さくな米子人気質は、こういった米子の歴史の産物である。
県外からのお客様を鹿島家にご案内。初対面でも旧知の中のように気さくに話される第14代当主(米子城を再建した豪商の末裔)。今日も、『ヒストリーをストーリーでつなぐストリート』を楽しんでいただけたろう。