グッとくる山陰

2016Winter冬 たたらの恩恵に浴する

斐伊川 河口の朝焼け

島根県仁多郡奥出雲町の船通山を源流とする一級河川・斐伊川。鉄穴流しによる大量の土砂は斐伊川を下り、下流域に東西20㎞、南北8㎞、面積130平方㎞という広大な出雲平野を豊かに創造しています。

かつて、たたら製鉄という往時の最先端技術で、国内はおろか高い世界シェアを誇った鉄の国がありました。
島根県東部、「神々のふるさと」と呼ばれる出雲地方がその重要な舞台です。
ときに、たたら製鉄に携わる人々と里人との間に生じた摩擦がドラマチックに描かれることもありますが、それは、ひとつの側面にすぎません。
たたら製鉄がこの地に与え、未来という今に遺したものは、美しい風景や、誇れる文化として見事に花開いています。
「なぜこれが?」と思われるあんなものも、たたら製鉄の恩恵かもしれません。

須我神社 奥宮

八岐大蛇を退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしいなたひめのみこと)を祀る須我神社は、このお二人が日本で初めて宮殿をつくり、日本の国造りをはじめられたという神社。八雲山の中腹にそそり立つ神秘的な巨岩「夫婦岩(めおといわ)」が奥宮となっています。

島根県雲南市大東町須賀
アクセス:JR出雲大東駅から車で約20分
問い合わせ:雲南市商工観光課
電話:0854-43-2906

折り合いをつけて豊かさを共有

出雲地方における「たたら製鉄」の古い記述は『出雲国風土記』(733年編纂)の中にあります。現在の仁多郡を指して「諸郷より出すところの鉄、堅くして、もっとも雑の具を造るに堪ふ」(仁多郡内から出る鉄は堅く、様々な道具を造るにすぐれている)とあり、すでに当時、良質な鉄が造られていたことがわかります。

一方、日本最古の歴史書である『古事記』(712年編纂)には、出雲神話のひとつ『八岐大蛇退治』が記されています。同時期に書かれたこの2つを突き合わせてみると、たたら製鉄が出雲地方におよぼした影響が見えてきます。

物語の鍵を握るのは、奥出雲の船通山を源流にして宍道湖へと注ぐ大河、斐伊川です。古代から、氾濫を繰り返して人々の命を奪い、田んぼを破壊したという斐伊川は、神話の中、毎年やって来ては娘を食べてしまう八岐大蛇にたとえられたというのです。

その容姿は──ひとつの胴体に8つの頭と8つの尾をもち、目は鬼灯のように真っ赤で、体には苔や桧が生え、8つの谷と8つの丘にまたがるほど巨大で、その腹はいつも血でただれている──なんともおどろおどろしい表現ですが、それは、幾つもの支流をもち、自然豊かな河岸が広がるまさに斐伊川を描写したよう。たたら製法で、原料となる砂鉄を採る作業「鉄穴流し」によって斐伊川には大量の土砂が流され赤く濁ったとも伝わります。さらに、砂鉄を溶かすときに必要な大量な木炭を作るため、奥出雲の森では大伐採が行われ、その結果、下流では洪水が頻繁に発生。これらの災害を、すべて八岐大蛇の仕業に結びつけたのです。

菅谷高殿

たたらに従事した人々の集落「菅谷たたら山内(さんない)」に残る製鉄工場「菅谷高殿」(国の重要有形民俗文化財)。全国で唯一現存する堂々とした建物は、1751年から170年間操業した当時の姿を復元。内部の様子まで見学することができます。

島根県雲南市吉田町吉田4210-2
アクセス:JR木次駅からタクシーで約30分
問い合わせ:菅谷たたら山内・山内生活伝承館
電話:0854-74-0350

けれど、出雲地方のたたら製鉄は、決してそのままでは終わらず、きちんと折り合いをつけて、豊かさを共有したことが最大の特徴です。

たとえば、鉄穴流しによって農業用水となる斐伊川の水が汚染されるため、農閑期である秋の彼岸から春の彼岸までを、たたらの操業期間に限定。冬場に収入のなかった農民たちは、たたら場で働くことができ家計が潤いました。

また、たたら製鉄が永続操業できるようにと、約30年周期の計画伐採により保全をすすめたことで、奥出雲には今も豊かな森林が広がっています。このことは、荒れ地となった世界の鉱山跡を見れば、どれほど希有なケースか明白。たたら製鉄が遺したものは、出雲地方の暮らしを彩り文化と誇りをもたらしています。

グッとくる山陰

2016winter冬 たたらの恩恵を俗する

special presenter

山陰いいもの
探県隊 隊員
さぎの湯温泉
「竹葉」女将
しまね観光PR大使

小幡 美香 おばたみか

安来節どじょうすくい踊りの准師範の資格をもつ踊れるアイドル女将、そして初代・出雲美魔女として地域で活躍中。持ち前の好奇心を武器に今まで知らなかった山陰の宝探しの旅にご協力いただいています。

雲南市産業
振興課
商工観光課

鈴木 祐里 すずきゆりこ

雲南市、飯南町、奥出雲町の魅力発信に取り組む女性グループ「おくいずも女子旅つくる!委員会」の代表として、お客様のおもてなしに様々なイベントを企画。今回のたたら文化について詳しくお話を聞きました。

意外と知らないあれもこれも たたら遺産

龍頭ヶ滝

中国地方唯一の名瀑(めいばく)と称えられる雲南市の龍頭ヶ滝(りゅうずがたき)。名峰・鳥屋ヶ丸(とやがまる)を源流に、石英安山岩(せきえいあんざんがん)の岩肌を流れ落ちる落差40mの雄滝と、落差30mの雌滝からなる滝です。同町にある八重滝とともに「日本の滝100選」に選定されています。近くには鍛冶屋跡が残っています。

島根県雲南市掛合町松笠
アクセス:JR木次駅から車で約50分
問い合わせ:雲南市役所商工観光課

改めて「たたら」とは、古来から続く日本の製鉄技術のこと。足で踏んで空気を吹き送る大きな鞴を踏鞴というところから、一般に「たたら」といえば製鉄技術のことを指しています。

この「たたら」、操業するには大量の木材が必要で、その量といえば、 1回の操業に12tの木炭を使ったのだそう。全盛期には1ヶ所のたたらだけで年間60回ほどの操業が行われていたともいいますから、気の遠くなるような量だったことがわかります。

また木材と同様に、たたらには大量の水が必要でした。その用途のひとつが、燃焼が終わった炉から鋼の塊「鉧」を引き出して急激に冷やすため。満々と水をたたえる鉄池に鉧を投入する必要がありました。1400度以上の高温で熱した鉧ですから、鉄池の水は直ちに沸騰。どれほど大量の水が必要だったかは想像に難くありません。

つまり、たたらは、豊かな森林と豊かな水に恵まれた土地だけに成立する、特殊な技術だったというわけです。

たたらで繁栄した地は、龍頭ヶ滝に代表されるように豊かな湧水があり、恵みの水を利用して田んぼが広がり、おいしいお水とお米が育ちました。さらに、鉄穴流し跡の地形を利用して棚田という美しい風景が生まれました。こうして農業が発達すると鋤や鍬など農具が必要となるわけで、刃物鍛冶の高い技術が伝承されているのも必然です。この地で鉄の商売に欠かせないそろばん製造が盛んになったのは、そろばんを製造するための上質の刃物を加工する技術が根付いていたことが製造技術の発達を加速させたものでしょう。

刃物鍛冶

町並みに鉄を叩く音が響く奥出雲町は、古くから農工具刃物を盛んにつくっていた生産地で、今も数件の刃物鍛冶屋が残っています。1本1本手作りで鍛錬する技法は昔と変わらず、長く持続する鋭い切れ味に定評があります。また高度な技術を誇った「たたら」の直系といえる日立金属安来工場で生産される安来鋼は、「YSSヤスキハガネ」のブランドで、カミソリ刃世界シェアトップ製品を生み出しています。

たたらの全盛期だった江戸時代後期、出雲国は松江藩7代藩主・松平治郷が治めていました。治郷が藩主になった当初、松江藩の財政は破綻状態でしたが、才覚を発揮して立て直しに成功。その一翼を担ったのがたたらだったのです。たたらで松江藩を立て直した治郷は、不昧公と呼ばれる粋人で、自ら茶道の流派を興したほどの人物。お茶や和菓子の文化が花開いていることもうなづけます。

日本の鉄の大部分を生産した時代があったという出雲国には、商人や職人をはじめ大勢の関係者が全国から群がりました。
鉄の積み出し港として繁栄した安来市は、民謡「安来節」に合わせて踊るユニークな「どじょう掬い」で知られています。「なぜこれが?」と思われるあんなものも、たたら製鉄の恩恵かもしれません。

明々庵

松江7藩主・松平治郷(まつだいら はるさと)は「不昧(ふまい)」という雅号(がごう)をもつほどの風流人で茶道に通じ、不昧派茶道を大成させた偉人。そんな不昧公好みによって、松江市の高台に建てられた茶室が「明々庵」です。不昧公筆「明々庵」の額が掲げられた茅葺(かやぶき)の厚い入母屋(いりもや)を眺めながら、お抹茶を一服いただくことができます。このときのお菓子は、不昧公の和歌の一節から命名された「菜種の里」と「若草」。茶の湯とともに和菓子の文化も花開いています。

島根県松江市北堀町278
アクセス:JR松江駅からバスで約10分
問い合わせ:明々庵 電話:0852-21-9863

雲州そろばん

たたら製鉄が盛んになるとともに、必然的に必要となるのが算用道具「そろばん」。当初は、商人が持参した芸州(広島)「塩屋小八」のそろばんが使われていましたが、どうしても修理する必要に迫られました。そこで地元の村上吉五郎という大工が、小八のそろばんを真似てつくったのが、「雲州そろばん」のはじまりと伝わります。現在は雲州そろばん伝統産業会館内において、雲州そろばんづくりが継承されています。

島根県仁多郡奥出雲町横田992-2
アクセス:JR出雲横田駅から徒歩約1分
問い合わせ:雲州そろばん伝統産業会館
電話:0854-52-0369

全国各地から寄港する北前船などの船乗りたちは、出港前の宴で、ふるさとの民謡をめいめいに歌いあったのでしょう。これを聞いていた地元の芸妓が、各地の民謡をベースにアレンジを加えて誕生させたのが民謡「安来節」の原形だといわれています。

このように、たたらが出雲地方にもたらした文化には、鉄に留まらない多彩さがあります。出雲地方のひとに会い、まち並みを歩き、感じられるのは一種の優雅さ。それは、たたらの歴史に裏付けされた、しなやかなプライドなのかもしれません。

砂鉄を採るために山を切り崩した跡地を利用し、田んぼに整備して偶然にできた奇跡のような風景です。棚田の中に点在する小さな丘は「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」といって、墓地など信仰の対象であったために切り崩されず残された土地です。また、鉄穴流しの水路はそのまま、農業用の灌漑(かんがい)用水路として現在も活用されています。

標高300~500mに位置する仁多郡の棚田で、昔ながらに栽培されるブランド米「仁多米(にたまい)」。当地は、森林が面積の約9割を占め、雪解けの花崗岩(かこうがん)から湧き出るミネラル豊富な岩清水(いわしみず)が豊富な里。寒暖差の大きい気候とともに、お米づくりの好条件に恵まれています。なんでも、お米500㎏をつくるためには、田起こしから収穫までに約150tもの水が必要といわれ、当地が豊富な水の里であることがよく分かります。

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