舞台せましとうねって踊り、火まで吹いてみせる大蛇がいる。
煌びやかな衣装を身にまとい、勇敢に鬼を退治する神さまがいる。
石見地方の子どもたちは、そんな神楽の舞台にあこがれて大きくなる。
「守っているつもりはない。ただ好きで演っているだけ」
だから強い、だから伝わる、だから惹きつけられるのだろう。
国内はもちろん、海外からのオファーも相次ぐ石見神楽。
伝統芸能なのか? 大衆芸能なのか?
その答えを出すなんてつまらないことをするより、
石見神楽という唯一の存在に、少しでも近づいてみようと思いました。

神楽の起源を調べてみると、『古事記』や『日本書紀』に書かれいてる「天岩戸(あまのいわと)」の故事にたどりつきます。それは、こんな物語―。
ときは神世の時代、八百万の神さまの住む天上の国・高天原(たかまがはら)を治めていたのは、太陽の女神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)でした。そして大御神には、須佐之男命(すさのおのみこと)という酷く乱暴者の弟がいました。
度重なる弟の暴状に我慢ならなくなった姉は、天岩戸という洞窟に隠れてしまわれます。すると空から太陽が消えてなくなり、高天原は常闇になってしまったのです。太陽が出なければ、作物は育たず、病気が蔓延。あらゆる災いが相次ぎました。

困り果てた神さまたちは、なんとか大御神に岩戸から出ていただこうと策を講じます。そのひとつが、岩戸の前で天宇津女命(あめのうずめのみこと)に〝神がかりして舞ってもらう〟というものでした。観劇していた神々はその見事な舞に大盛りあがり。この騒ぎを不思議に思った大御神は、ついに岩戸に手を掛けて隙間を開けます。そこで怪力の持ち主である手力男命(たぢからおのみこと)がすかさず岩戸を一気に開け、大御神を迎え出すことに成功。こうして高天原に太陽が戻ったのでした。

一方、高天原を追放された須佐之男命は、出雲の国に降り立ちます。やがて斐伊川にさしかかると悲嘆に暮れる老夫婦に出会い、その理由を尋ねました。すると「八つの頭と尾を持つおそろしい大蛇が、娘を食べにやってくるのです」と言うではありませんか。すっかり改心していた須佐之男命は、日本で最初に造られたお酒とされる〝八塩折(やしおり)の酒〟を八岐大蛇に飲ませて酔わせ退治に成功。件の夫婦の娘である稲田姫とめでたく結ばれたのでした。

神職から民衆へ、神楽のバトンは渡された !

神楽が盛んで、県内に200を超える団体(社中・保存会など)が活動している島根県。大きく分けて出雲・石見・隠岐の3つの神楽があるとされています。
なかでも石見地域での神楽の存在は圧倒的で、19万人に満たない人口ながら、130を超える神楽団体が活動しているほどです。


石見神楽の起源は明らかになっていませんが、石見地方には平安末期から開拓神である大元神を祭る田楽系の大元神楽(おおもとかぐら)がありました。これが石見神楽の原型とされ、後に、謡曲を神能化した出雲の佐陀神能の影響を受けて演劇化されたのだと伝わります。


元来、江戸時代までの神楽は、神社の神職によって執り行われる厳かな神事でした。
ところが時代が明治になると、政府から〝神職演舞禁止令〟が出されたのです。その理由は「お呪(まじな)いや神がかりが西洋医学の邪魔になる」からというものでした。

神楽は、神社の例祭にはなくてはならない重要なイベントです。消滅させるわけにはいきません。神楽を愛し大切に思っていたのは氏子である民衆も同様。「神職がだめというなら、我々民衆が演ろう !」 こうして神楽は、頼もしい民衆の手へと確かに継承されていったのです。


明治政府の神職演舞禁止令をきっかけに、石見の国学者らによって神楽改正が行われました。このとき、大元神楽に代表される優雅で伝統的な六調子から、舞や奏楽のテンポを速くした八調子の神楽が派生。
ダイナミックで豪奢な衣裳の石見神楽は、この八調子を受け継いでいます。


明治政府による禁止令で神職による神楽は姿を消したはずでしたが、山間部の一部では今でも神職によって伝承されています。
邑南町の大原神社で、式年祭の前夜祭として執り行われている大元神楽もそのひとつ。
政府の禁止令にも屈せず、神楽改正の影響も受けなかった大元神楽は、1979年、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

大原神社

4年に一度の式年祭では、石見神楽の源流といわれる大元神楽が奉納されています。豪華な衣装や面を着けずに執り行われる六調子の儀式舞が残るのも大元神楽の特徴。事業成功・子孫繁栄・厄災除けに御利益のある神社です。


島根県邑智郡邑南町日貫3378

三宮神社(さんくうじんじゃ)

石見神楽の演目「岩戸」に登場する力自慢の手力男命が御神祭。高天原で最も力が強い神さまといわれ、「力の神」「スポーツの神」「技芸の神」として崇拝されています。三宮神社は通称で、大祭天石門彦神社(おおまつりあめのいわとひこじんじゃ)が正式名。


島根県浜田市相生町1571

集落の数ほど団体(社中・保存会など)があり、
団体の数ほど面・衣裳・蛇胴があるといわれる石見神楽。
それぞれに個性の際立ったエンターテインメント性を支えているのは、
古くから石見地方に伝承される卓越した技術でした。

石見神楽面/長浜面

明治時代までは、石見神楽の面も能面と同様に一本の木から彫り出す木製でした。現在は、約1300年の伝統をもつ手漉き和紙「石州和紙」を幾重にも貼って作られる張り子タイプになっています。ヒントになったのは、約300年前から地元で作られている土製の長浜人形。粘土で型を作り、その上に和紙を貼り重ね、粘土が乾いたら壊して和紙から外すという手順。軽くて丈夫になった面は呼吸もしやすく、激しい舞にさらなるキレが生まれることになりました。

ひとつの面が完成するまでに1ヶ月以上を要する一点もの。仕上げに柿渋が塗られ、絵付けや毛植えが丁寧に施される、まさに職人の手による芸術品。石見が世界に誇る伝統工芸品です。

神楽衣裳

石見神楽をより豪華に見せているが、絢爛な衣裳です。石州和紙の台紙に、金糸・銀糸を贅沢に使った立体的な刺繍。ヤギの毛のヒゲに、ガラス玉の目など、全行程が職人の手作業によるもの。緻密に仕上げられた衣裳は細部まで美しく、1着の製作期間は数ヶ月から1年以上におよぶ場合もあるといいます。

1着が数百万円することもある豪華絢爛な衣装。平均で15kg、重いものでは30kgになるものも。激しい演舞で傷んだ衣裳は修繕しながら長く大切に使われています。

蛇胴(じゃどう)

石見神楽を代表する演目「大蛇」の蛇胴。以前は、白衣と股引にウロコを描いて大蛇を表現していたのだそう。現在の大蛇は、衣裳というより舞台装置といってもいいほどの大迫力。筒状の吊り下げ提灯をヒントに、浜田市で開発されました。長さは約17m。竹の骨組みに、石州和紙が貼り合わせてあるため、想像以上に軽量です。

のたうつような大蛇の動きを表現することに成功した蛇胴。石見神楽の「大蛇」が人気演目になったのも、この蛇胴の発明があってこそでしょう。

囃子(はやし)

石見神楽を音で盛り上げ支えているのが「囃子」と呼ばれる楽器隊です。その構成は、舞をリードする「大太鼓」、演奏のリズムを担当する「小太鼓」、金属製の打楽器「手拍子」、メロディを担当する「横笛」の4種類。神楽を舞う「舞子さん」はもちろんのこと、面、衣裳、囃子のどれひとつ欠けても成立しない石見神楽。表舞台には上がらないけれど、大勢の地元の人々が携わり継承している総合芸術なのだと思いました。

「当初は、周りから異端あつかいされたと思うよ。でもそれ以上に、観た人はみんなビックリしたんだろうね。叩かれても、続ければ伝統になる」こう話してくださったのは、今回、石見神楽の指南を仰いだ日高均さん。子ども神楽の指導から、アメリカ・オーストラリア・アラブ首長国など海外公演の経験も豊富な「西村神楽社中」の代表をされています。

石見神楽は、明治以降、創意工夫を凝らしながら劇的に進化し続けています。きっかけになったひとつに、1970年に開催された「大阪万国博覧会」がありました。


石見神楽は日本の代表的な伝統芸能のひとつとして招へいされていました。このとき演出家から「八岐大蛇なら八頭だろう」と無茶振りされるハプニングが起こります。外国からの来場者にも分かりやすいようにという意図もあったのでしょう。浜田から参加していた全社中が団結し、このとき初めて八頭立ての大蛇を披露。石見神楽の名前が広く知られるようになった貴重なエピソードです。
大阪万博以降も進化は止まらず、今現在、大蛇の口からは花火が飛び出し、幻想的なスモークの演出も定番になっています。

県立浜田商業高校には郷土芸能部があり、学生たちは日々、石見神楽の練習に汗しています。
浜田市役所では観光交流課石見神楽係を設けて、石見神楽の発信に注力。2022年2月「第14回 産業観光まちづくり大賞」銀賞を受賞しています。

浜田の子どもたちにとっては、〇〇ライダーや〇〇レンジャーより、石見神楽がヒーローなんです。
テレビの中にではなく、すぐ目の前にカッコいい大人たちがいるのだから、それも納得。
「我々は、頑張って守っていこうとは思っていない。演ってるみんなが石見神楽が好きなんです」
うらやましいことに、石見神楽に関しては後継者不足問題なんて聞こえてきませんでした。
今の子どもたちが大人になった未来に、石見神楽はどんな新しい姿になっている?
これからの進化が楽しみで仕方ないのです。

島根県江津後地町3348-113

営業時間:昼11:00~15:00/夜17:00~21:00

     (ラストオーダー20:30)

お問い合わせ : 0855-55-1155

定休日 : 無休

大黒食堂「オロチ丼」

島根県西部のドライブステーション「神楽の里 舞乃市」内にある食事処「大黒食堂」の人気メニュー「オロチ丼(1,045円)」。石見地方のブランド肉「まる姫ポーク」のロース肉を使ったソースカツ丼で、そそり立つ8枚のカツで八岐大蛇を表現。舞乃市内には、石見神楽の定期公演を行う専用劇場「舞乃座」があり、定期公演の他、特別公演や貸切公演も行っています。

Back
Number