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2018Spring 冬 小泉八雲とは
何者?

中国地方の最高峰、国立公園に指定される大山は今年、西暦718年に開かれた大山寺が開山1300年を迎えて活気づいています。 古くから信仰の山であった大山は、山岳信仰に帰依する修験の道場として栄えました。 平安時代以降は山岳信仰の仏教化が進み最盛期には100を超える寺院と3千人以上の僧兵をかかえるほどに。大山の険しい自然は、修験者らの心身を鍛え、豊かな自然は、彼らの命を支えたはず──。 改めて、大山の魅力とは何か?と考えたとき、それは、人間が造ろうとしても造れない美しい水の存在なんじゃないか!という原点に行き着きました。

 標高1729mの大山は、約100万年前から1万数千年前の火山活動で、現在の姿に近い山容が誕生しています。その姿は、「伯耆富士(ほうきふじ)」「出雲富士(いずもふじ)」と形容される西側から眺める優しい姿と、北壁・南壁等の変化に富んだダイナミックな姿の、二面性を持ち合わせています。
 大山の標高800mから1300mの中腹ぐるりと広がるのが、西日本最大のブナの森。その広さは、世界自然遺産に登録される白神山地(青森県・秋田県)に次ぐ規模といわれています。
 落葉広葉樹のブナの森は、針葉樹など他の森林と比べて格段に保水力が高く、「緑のダム」あるいは「緑の水がめ」と呼ばれるほど。樹齢200年くらいの大木になると、1本あたり年間で約8トンの地下水を蓄えるのだといわれています。ブナの森には落ち葉や微生物などによって分解された腐葉土が大量に堆積。そこにたっぷりと降水を含むため、森の地面はスポンジのように「ふわふわしている」と表現されます。
 腐葉土に蓄えられた水は大山ならではの火成岩(安山岩)などで形成される地層に、ゆっくりと時間をかけて浸透。約100年ともいわれる歳月に、じっくりとろ過され磨き上げられて、ミネラル分を適度に含んだ、美しい軟水になるのです。

 年間降水量については、日本の平均が約1700~1800㎜といわれるなか、鳥取県がほぼ平均量であるのに対し、降雪も多い大山は3000㎜超という量。良質な天然水が豊富に生まれる理由がわかります。そして、大手飲料水メーカー2社がミネラルウォーター工場の地に選んでいるのも納得です。
 また、大山の裾野に位置する米子市は、全国的にも水道水がおいしいと評価されています。その理由は、地下90mを流れる天然水を、井戸でくみ上げて水道水に利用しているから。一般的に設けられる浄水場が必要ないという特徴が全国的にも珍しいようです。
 大山のブナ林に蓄えられた水が、山裾を伝って田畑を潤し、海にミネラルを運ぶと良質な海藻が育ち、そして海の食物連鎖を支える植物性プランクトンが増殖します。天然水の通った道には、二十世紀梨やブロッコリー、白ネギなどの農作物が、大山どりや大山黒牛などの畜産物が、白イカ・アジ・サザエなどの海産物が、それぞれ高品質に育ちます。その全てが大山の造る天然水の恩恵なのです。
 こうして、海へとたどり着いた大山の水は、やがて蒸発して雲となり雨を降らせて、また大山へと降りしきる──。自然の完璧なサイクルの過程で、私たちは恩恵を受けている──。今も昔も、その関係性は何ら変わることはありません。大山は古くから神の山と崇められ、何人たりと入山を禁じるほど先人たちから大切に守り続けられてきた命の源なのです。



鳥取県西部、米子市と境港市にまたがる弓ヶ浜半島は、美しい弓形の海岸線が美保湾を形成する、全長約17㎞・幅約4㎞の国内有数の砂州。「国引き神話」では、島根半島を引き寄せるための綱が弓ヶ浜半島に、その先にそびえる大山が引き寄せた国を固めるための杭に見立てられています。周囲に並ぶ山のない独立峰である大山の姿は神々しく、地域の人々にとってシンボリックな存在となっています。
Photo:Takashi Karaki

   大山山麓に、大規模な集落が形成されたのは、弥生時代。場所は、標高90mから150mの、日本海を一望する台地「晩田山(ばんだやま)」。今から、約1900年から1700年前のことです。
 弥生時代の集落規模として国内最大級のこの遺跡は、地名に因み「妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)」と名づけられ、1999年に国の史跡に指定されました。
 発見された代表的なものは、約450棟の竪穴式住居、約510棟の掘立柱建物跡、四隅突出型墳丘墓をはじめとする墳墓36基など。総面積約156haという、かの吉野ヶ里遺跡(佐賀県)の3倍ともいわれる広大なエリアは、この地に小国家となる「クニ」が形成されていただろうことを物語っています。
 日本で本格的な稲作がはじまったとされる弥生時代、妻木晩田の人たちは、大山の豊かな土地と水で、田畑を耕していたはず。出土した鉄器は200点超。中には、北部九州や朝鮮半島の特徴を持つ工具や掘削具なども多数含まれ、他国と行っていた活発な交易の様子を示しています。
 大海原に漕ぎ出した、勇敢な先人たち。航海のランドマークは、やはり大山だったのでしょう。帰港の際、悠然とそびえるその姿が見えたとき、どんなに安堵したことか想像に難くありません。それは時代を超えて、現代でも同様。旅の終わりに、車窓に大山を見ると、心からほっとできるのです。
 妻木晩田遺跡を拠点にして、中海から出雲方面のエリアに焦点を当てると、この鳥取県西部(伯耆)と島根県東部(出雲)をまたぐエリアの方言や食文化が非常に良く似ていることがわかります。方言に関して言えば、このエリアで話される言葉は「雲伯(うんぱく)方言」と呼ばれ、隣接する地域とはかなりの違いがあります。たとえば往時、中海から出雲に向けて開けた妻木晩田から狼煙(のろし)をあげれば瞬時に、他の集落とコミュニケーションがとれたでしょう。ここから見えてくるのは、妻木晩田遺跡を一大拠点として形成されていただろう巨大な文化圏なのです。  
 


奈良時代養老2年(718)、金連上人(きんれんしょうにん)によって開創・創建されたと伝わる山林寺院。平安時代以降、山岳信仰の対象として崇拝され、最盛期には100超の寺院と、3000人超の僧兵を抱える一大勢力として繁栄。現在、4つの参拝堂と10の支院が残る。
鳥取県西伯郡大山町大山9
アクセス:JR米子駅から日交バス「大山寺行き」約50分、下車後、参道を徒歩約15分
お問い合わせ:0859-52-2158(大山寺)

  大山山麓は、古来、「たたら製鉄」が行われていた場所。良質な砂鉄が採れ、大量の木炭になる豊かな森林があり、熱した鉧(けら)を急激に冷やすための潤沢な水がありました。
 ときは平安時代、数ある日本刀の中で特に名刀といわれる「天下五剣」のうちの1振り「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」が作られました。作者は、伯耆国(鳥取県中西部)の刀匠・安綱。優美な反りが特徴の日本刀を初めて作ったとされる人物です。そして、安綱を筆頭とする優秀な刀工集団をスポンサーとして支えたのは、当時、強大な勢力を誇った大山寺であると考えられるのです。大山には今も「鈩戸(たたらど)」という地名が残り、たたらにまつわる歴史を物語っています。
 たたら製鉄が当地にもたらしたもののひとつに、特徴的な風景があります。山麓を流れる日野川水系では「かんな流し」いう手法で砂鉄を採取しましたが、その際、大量の残砂が下流に流されました。それもあって、古代は夜見島(よみしま/境港市付近)と呼ばれた島が流された残砂などによって地続きとなり日本一の砂州、弓ヶ浜半島を形成したのです。
 さらに、たたら製鉄をルーツとする日立金属安来工場(島根県安来市)は、世界的な鋼工場として大いに飛躍。当工場で開発された「YSSヤスキハガネ」は、たたら製鉄における「玉鋼(たまはがね)」の製法を現代に引き継いだ高級特殊鋼。刃物材料・自動車部品・エレクトロニクス材料など、様々な分野で世界シェアを獲得するまでになっています。
 悠然とそびえる大山は、その姿を眺めながら暮らす人々の、今も昔も、心のよりどころ。大山を源とする自然に、歴史に、文化に、私たちは生かされています。当地に残された偉大な足跡は、先人たちから贈られたギフト。次は、今を生きる私たちが確かな足跡を刻む番です。
 


国宝に指定される実物は東京国立博物館に所蔵され、門外不出となっています。「童子切」とは物騒な号ですが、凶賊退治の名刀が酒呑童子伝説などに結びついたものと考えられています。大山開山1300年祭を迎えた今年、鳥取市の刀匠・金崎秀寿(かねさき ひでとし)氏によって複製された「童子切安綱」は、大山寺宝物館「霊宝閣」に収蔵・展示されています。

special presenter

    1. 鳥取県米子市在住。大山が見えるエリアはひとつの文化圏として大山王国と名付け、この圏域のファンづくりの事業を1999年より取り組んできました。近年は、「不思議と素敵“大山ワンダー”」というテーマで、圏域の魅力を深掘りして情報発信しています。本紙面編集にあたり監修していただきました。



大山山麓の里山一帯に広がる大規模な弥生時代の遺跡。美保湾、弓ヶ浜半島、中海を一望する丘陵地で、東京ドーム約30個分といわれる広大なエリアは、ほぼ全域が国の史跡に指定されています。現在、「鳥取県立むきばんだ史跡公園」として弥生時代の集落が再現される他、本物の竪穴式住居跡を保存する「遺構展示館」や、土器・鉄器・石器などの出土品を展示する「弥生の館むきばんだ」などが整備されています。
鳥取県西伯郡大山町妻木1115-4
アクセス:JR淀江駅からタクシー約5分
お問い合わせ:0859-37-4000(鳥取県立むきばんだ史跡公園)

   
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