国内に現存する風土記の唯一の完本『出雲国風土記(733年)』は、奈良時代に編集された郷土誌のような書物。 その中で「神々が集まって酒造りを行い、180日にわたって酒宴を催した」と記されている古い神社があります。 それが、酒の古名を冠した「佐香神社」で、別称を「松尾神社」。お酒の神様である松尾様の名のつく神社は、他には京都の松尾大社だけ。 現在も1年に1石(180L)、宮司が杜氏を務める酒造りが許されています
。旧暦10月は通常、神無月と呼ばれます。 しかし出雲地方だけは、日本中の神様が集まって縁結びや五穀豊穣、諸産業の繁栄などを取り決めるための頂上会議が行われるので、唯一、神在月と呼ばれています。 神様たちは会議を終えると、斐伊川の畔に鎮座する「万九千神社(まんくせんじんじゃ)」で最後の酒宴「直会(なおらい)」を催して、その後、諸国へとお帰りになるのが慣わしです
。これらは古くから地元に伝わる神話の一部。当エリアが「日本酒発祥の地」と称えられて、神様とお酒に深い縁のあることが窺えます。 そして、もうちょっと深掘りしてみると面白いことに、たたら製鉄とお酒の深い関わりも見えてくるのです。
佐香神社
島根県出雲市小境町108
万九千神社
島根県出雲市斐川町併川258
島根県の東部、中国山地の船通山に源を発し、奥出雲から雲南を通って宍道湖に流入する斐伊川は「出雲神話」の舞台であり、良質な砂鉄を採るための「鉄穴流し」に利用された「たたら製鉄」の舞台でもありました。
その理由は、奥出雲の大地の大部分が「風化花崗岩」で構成されていて、その中に約1%の良質な砂鉄が含まれていたことでした。花崗岩は硬いままだと砂鉄を採り出すことが非常に困難ですが、奥出雲の花崗岩はラッキーなことに、割と容易に人力で切り崩せるほどに風化が進行。岩の割れ目部分から豊富な地下水が染み込んで、風化を促進したのではないかと考えられています。
日本の棚田百選/奥出雲町大原新田
標高500m超、面積4.9ha、約40枚を有する大原新田の棚田。
1段1段が高く石垣もなく、棚田1枚の平均が1.3aと大区画になっているのが特徴です。
風化花崗岩でできた山を切り崩し、豊富な水で流して比重選鉱。これがいわゆる「鉄穴流し」。
この鉄穴流しによって集められた砂鉄を使った製鉄方法が「たたら製鉄」というわけです。
江戸時代から明治時代初期にかけて、最盛期を迎えていた奥出雲をはじめとする中国山地では、日本のおよそ8割にもなる大量の鉄を生産していたと伝わります。それはゴールドラッシュならぬ、まさにシルバーラッシュの勢いでした。
ここで注目したいのは、シルバーラッシュ時に切り崩された山々の跡地が、荒廃するどころか、豊かで美しい棚田になっているということです。その原点については後半で触れることにしますが、事実、県内産酒米(酒造好適米)の約7割を当エリアで生産。島根の地酒を支える良質な酒米の主産地になっています。
たたら製鉄のために、500年以上にわたって森林を伐採し、山を切り崩し、水路やため池を造ってきた奥出雲地方には、現在、美しい棚田が広がり、ふくよかな地酒が醸され、豊かな食が育てられています。
大規模な森林伐採や掘削が長年行われていた土地が、荒廃することなく なぜ今、こんなにも豊穣なのか!?
不思議に感じたその理由を、ちょっと知りたくなりました。
かつて、たたら製鉄で使う大量の木炭を得るため、森林は大規模に伐採され続けていました。それは無計画にただ伐り倒していたのではなく、資源が枯渇してしまわないように、約30~50年周期の輪伐を繰り返して循環利用。森林の保全•活用がしっかりと考えられていたのです。 こうして、たたら製鉄の終焉後も、緑豊かな森林は守られました。では、鉄穴流しのために造られた水路やため池はどうでしょう。なんと、そのままの姿で再利用されて、「日本の棚田百選」にも選出される美しい棚田へと生まれ変わっていたのです。
しかしその前に、改善すべき点がありました。それは、風化花崗岩は養分をあまり含まず、稲作をするには極めて生産性に乏しい土壌だったからです。そこで先ず取り組んだのが、痩せた土地でも育てやすい蕎麦を栽培して、土壌を徐々に改良することでした。その結果、奥出雲は素朴で味わい深い「出雲蕎麦」の産地となったのです。
土壌を肥やす手段として活用されたのは、鉄の運搬や農耕のために飼育されていた和牛の存在。牛フンを堆肥に利用して、肥沃な土壌へと育てていったのです。
そして当地は元々、最高気温と最低気温の差が大きい環境で、その点は稲作にとても適していましたから、土さえ肥沃になれば良質なお米を育てることができたのです。こうして条件が整えられていった大地は、広大な棚田として再生され、ブランド米「仁多米」が生まれたのです。
さらに、鉄の運搬や農耕用の役牛飼育で培ったノウハウを、肉用牛の飼養管理技術として継承。県を代表する「奥出雲和牛」の産地にもなりました。
駆け足のご紹介でしたが、これだけを知っても、当地にはずっとずっと昔から、SDGsの精神が根付いていたことがわかります。そこには、この地で暮らす人々の創意工夫と粉骨努力、叡智と先見の名、そしてなにより、この大地への誇りと愛情があったのだと思えるのです。
仁多米
長年の堆肥施用で地力を上げた土壌と稲作に適した気候によって、日本を代表するブランド米にまで成長。
出雲蕎麦
蕎麦殻を練り込んだ色の濃い麺は豊かな風味と食感の良さが特徴。3段重ねの「割子」スタイルも個性的。
奥出雲和牛
豊かな自然の中でのびのびと育てられいる奥出雲和牛は、高級黒毛和種牛肉。品評会での受賞歴も多数。 探県記 奥出雲和牛