湿地で起きた度重なる火山活動によって流れ出た熔岩が少しずつ累積し、
小さな島の原型が生まれました。
その後、長い歳月をかけて周囲に海水が入り込んで汽水湖になると、
真ん中辺りに小さな島が姿を現しました。付けられた名前は「大根島」。
外周約12km、面積約6k㎡、現在の島の人口は約3000人。
国内にわずか4島しかないという湖の中にある有人島のひとつが、
これからご紹介する大根島です。
のどかな景色が迎えてくれる島は、見かけによらずかなり個性的でした。
島といえば断崖絶壁の海岸線が思い浮かびますが、大根島にはそうした荒々しい自然は見当たりません。
最高地点は島のほぼ中央、火口から噴き出たスコリア(玄武岩質の軽石)から成る標高42mの大塚山ですが、
それ以外は実に緩やかで、不思議なほどフラットな地形。
島のどこにいても360度見晴らしがよく、ほとんど起伏のない平らかな島であることがわかります。
その理由は、大根島の土台である玄武岩の熔岩は粘り気が弱いため堆積せず、流れ出ては広がり、
お皿を伏せたような形状になったからでした。
国指定特別天然記念物 幽鬼洞(ゆうきどう)
民家の真下にあるという大変珍しい熔岩洞窟。「特別」の付く天然記念物の熔岩洞窟は、大根島の幽鬼洞と秋芳洞(山口県)の2つだけ。一般公開はされていませんが、約100mのコースが確認されています。
国指定天然記念物 竜渓洞(りゅうけいどう)
島内で唯一見学可能な熔岩洞窟。洞窟内で火口の様子が確認できるのは世界的にも大変希少。7月・8月の暑い時期、洞内へと下りる階段の入り口には、急激な温度変化によって天井付近に小さな雲が発生。神秘的な「入口雲」は一見の価値があります。
(島根県自然観察指導員)
洞窟ガイド 門脇和也さん
世界で10匹しか確認されていないというゴミムシの一種、その8例目が大根島の洞窟で発見されたことを、写真を手に解説する門脇さんは唯一無二の存在。大根島の遺産を後世に伝えるため、後継者の育成にも尽力されています。
大根島の土壌は主に、島根県のほぼ中央にそびえる
三瓶山が度々噴火した際に降り積もった火山灰由来の黒ボク土です。
水はけや通気性が良いうえに有機物を豊富に含むこの肥沃な土壌と、
淡水レンズからの湧き水のおかげで、周辺のどことも似ていない高収益作物の特産品が育てられています。
その歴史は、江戸時代、幕府が医薬行政の立場から、当時極めて貴重とされていた高麗人参を一般にも広めようと、1727年、「御種人参」と名付けて諸大名に種子を分け与えたことからはじまりました。
このとき、全国24ヶ所で栽培が試みられたといいますが、成功するのは難しく、徐々に減少。現在に至るまで栽培が続けられている主な生産地は、長野、福島(会津)、そして、ここ大根島の3ヶ所だけとなっています。
熔岩洞窟、スコリア丘(大塚山)、湧き水(親水公園)など島の随所で、知れば知るほどおもしろい火山活動の不思議な歴史に出会えるはずです。
それから時が流れて、飛躍的に生産量が拡大したのは「芍薬の根に牡丹の芽を接ぐ技術」が確率された昭和30年代頃。こうして、開花率の高い大根島の牡丹の苗は、全国へと届けられるようになっていきました。
背負い籠いっぱいに牡丹の苗を詰め込んだ大根島の女性たちは、船やバスや鉄道を乗り継いで、全国津々浦々まで売り歩きました。それは島で待つ家族のため、 延いては、産業の乏しかった島の経済を支えるため。
こうした島の女性たちの深い愛情が、全国で牡丹の花を咲かせたのです。
栽培技術の確立によって、現在、大根島の牡丹の苗はアジア、ヨーロッパ、北米などへ輸出されて、海外の愛好家にも親しまれるようになっています。
近年では、「担い手育成協定制度」を締結して、若手後継者の育成に積極的に取り組んでいる革新的な地元企業の活躍に目を見張るものがあります。
そこには、歴史と文化の継承を使命として、良い意味で「職人気質をつくらない」今の時代に適ったメソッドを実践する新しい働き方がありました。