先ず、ホーランエンヤを語るには、松江城築城のときにまでさかのぼる必要があります。
それは築城開始から1年後の慶長 13 年(1608)のこと、本丸の石垣を築きますが、なぜか何度も崩壊。人夫のなかには怪我をするもの、もののけに襲われるものまで続出したのです。そんなとき、出雲郷(あだかえ)という村にある芦高神社(現・阿太加夜神社/あだかやじんじゃ)に、八卦(はっけ)をよく見るという神主・松岡兵庫頭がいるとの評判が伝わり、祈祷を依頼することになりました。こうして、兵庫頭によって二夜三日の祈祷が行われ、崩壊の原因は「荒神と首の祟り」であることが判明。現地を掘ると、出てきたのは戦国時代の刀や人間の首だったのです。それらは丁重に掘り起こされて、手厚く葬られました。以来、兵庫頭は松江城の神主職を兼ねることになったのです。もちろん、石垣は二度と崩壊することなく、慶長 16 年(1611)、松江城はみごとに完成しています。
そして時代は寛永 15 年(1638)、松平直政(まつだいらなおまさ)公がお国入り。かねて稲荷を崇敬していた新しい城主は、城内に本殿を建てさせて、兵庫頭を兼務させたのでした。
堀尾吉晴(ほりお よしはる)により1611年に築城された松江城。
全国に現存する12天守の一つで、入母屋破風の屋根が羽を広げたように
見えることから別名「千鳥城」とも呼ばれる。2015年に国宝に指定された。
島根県松江市殿町1-5
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直政公が松江城主となって10 年目の慶安元年(1648)、領地では天候不順が続き、凶作が予想されました。こうした事態に心を痛めた城主は、実績のある兵庫頭を頼り、大祈祷が行われることになりました。
その内容は、城山稲荷神社の御神霊を乗せた神輿を、兵庫頭の本務社である阿太加夜神社まで船で運び、安定した天候と五穀豊壌の大祈祷を行って、その後、城山稲荷にお戻りいただくというもの。神前には数々の供物が捧げられ、行われたお祓いは1万度。この神事は、17 日間にもおよんだと伝わります。
こうして、大祈祷はみごとに成就。以来、10 年に一度の式年神幸が行われるようになりました。式年とは一定の決められた期間のことを、神幸とは神様がお出かけになることを意味します。時代背景から、12 年あるいは16 年の間隔となったケースもありましたが、現在は、当初の10 年ごとに定められています。
そして、いつの頃からかこの神事は、船の櫂をこぐ際の掛け合い言葉「ソーラ」「エンヤ」が「ホーラ」「エーヤ」になり、やがて「ホーランエンヤ」と呼ばれるようになったと伝わります。
『出雲国風土記』に「阿太加夜社」と記載される古社。主祭神は、大国主命の御子である阿太加夜奴志多岐喜比賣命(あだかやぬしたききひめ)という女神様。社殿、諸建造物は元禄8年(1695)、源綱近により造営され、代々の藩主によって修造されてきた棟札が現存。
島根県松江市東出雲町出雲郷588
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松江城公園内、千体もの石狐が鎮座する稲荷神社。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、松江在住の頃、大変気に入り毎日のように訪れていたという。その千体の中に一体だけ、玉を持った石狐がいて、見つけることができたなら誓願成就のご利益があるのだそう。
島根県松江市殿町449-2
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・県庁前下車徒歩で5分
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