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2019Spring 春 ホーランエンヤ

 2019年5月18 日(土)を皮切りに、9日間にわたる松江城山稲荷神社の式年神幸祭がスタートします。
10 年に一度行われるこの神事は一般に「ホーランエンヤ」の俗称で呼ばれる日本三大船神事のひとつ。城山稲荷神社の御神霊をお乗せした船を中心に、先導・お供・護衛などの役割を与えられた100隻を超える大船団が大橋川を連なる光景は、まさに時代絵巻さながら。今年で370年の歴史を誇る神事の発祥と、絢爛でいてどこか突飛な様式が生まれた経緯を、ここでおさらいしようと思います。

 先ず、ホーランエンヤを語るには、松江城築城のときにまでさかのぼる必要があります。
 それは築城開始から1年後の慶長 13 年(1608)のこと、本丸の石垣を築きますが、なぜか何度も崩壊。人夫のなかには怪我をするもの、もののけに襲われるものまで続出したのです。そんなとき、出雲郷(あだかえ)という村にある芦高神社(現・阿太加夜神社/あだかやじんじゃ)に、八卦(はっけ)をよく見るという神主・松岡兵庫頭がいるとの評判が伝わり、祈祷を依頼することになりました。こうして、兵庫頭によって二夜三日の祈祷が行われ、崩壊の原因は「荒神と首の祟り」であることが判明。現地を掘ると、出てきたのは戦国時代の刀や人間の首だったのです。それらは丁重に掘り起こされて、手厚く葬られました。以来、兵庫頭は松江城の神主職を兼ねることになったのです。もちろん、石垣は二度と崩壊することなく、慶長 16 年(1611)、松江城はみごとに完成しています。
 そして時代は寛永 15 年(1638)、松平直政(まつだいらなおまさ)公がお国入り。かねて稲荷を崇敬していた新しい城主は、城内に本殿を建てさせて、兵庫頭を兼務させたのでした。

堀尾吉晴(ほりお よしはる)により1611年に築城された松江城。
全国に現存する12天守の一つで、入母屋破風の屋根が羽を広げたように
見えることから別名「千鳥城」とも呼ばれる。2015年に国宝に指定された。
島根県松江市殿町1-5
アクセス:JR松江駅からバスで15分、県庁前下車徒歩で2分
お問い合わせ:TEL 0852-21-4030

 直政公が松江城主となって10 年目の慶安元年(1648)、領地では天候不順が続き、凶作が予想されました。こうした事態に心を痛めた城主は、実績のある兵庫頭を頼り、大祈祷が行われることになりました。
 その内容は、城山稲荷神社の御神霊を乗せた神輿を、兵庫頭の本務社である阿太加夜神社まで船で運び、安定した天候と五穀豊壌の大祈祷を行って、その後、城山稲荷にお戻りいただくというもの。神前には数々の供物が捧げられ、行われたお祓いは1万度。この神事は、17 日間にもおよんだと伝わります。

 こうして、大祈祷はみごとに成就。以来、10 年に一度の式年神幸が行われるようになりました。式年とは一定の決められた期間のことを、神幸とは神様がお出かけになることを意味します。時代背景から、12 年あるいは16 年の間隔となったケースもありましたが、現在は、当初の10 年ごとに定められています。
 そして、いつの頃からかこの神事は、船の櫂をこぐ際の掛け合い言葉「ソーラ」「エンヤ」が「ホーラ」「エーヤ」になり、やがて「ホーランエンヤ」と呼ばれるようになったと伝わります。


『出雲国風土記』に「阿太加夜社」と記載される古社。主祭神は、大国主命の御子である阿太加夜奴志多岐喜比賣命(あだかやぬしたききひめ)という女神様。社殿、諸建造物は元禄8年(1695)、源綱近により造営され、代々の藩主によって修造されてきた棟札が現存。
島根県松江市東出雲町出雲郷588
アクセス:JR揖屋駅からタクシーで10分
お問い合わせ:TEL 0852-52-3468

 今年で370年の歴史を積み重ねるホーランエンヤは、元来、御神霊の乗る御神船と、わずかな供船による、きわめて素朴な神事でした。では、いつ頃から、現在のように華やかな祭事になったのでしょう。
 きっかけは、文化5年(1808)のこと。折からの悪天候で雨風が激しく、馬潟(まかた)村あたりの水上で、御神船があわや転覆かというような危険な状態になりました。これを見ていた馬潟地区の漁師たちは、自ら船を出して救助に向かうと、御神船に綱を結びつけて引き、無事、出雲郷の船着き場までお届けしたのです。以降 10年ごとに、馬潟地区に続いて矢田(やた)地区、大井(おおい)地区、福富(ふくとみ)地区、大海崎(おおみさき)地区と順に加勢。やがて、それらは五大地(ごだいち)と呼ばれて、現在の100隻を超える大船団が形成されていきました。

 では、特徴的な船上での舞についてはどうでしょう。そもそもは、御神船を助けた馬潟の漁師が、喜びのあまり櫂を掲げて躍ったことが始まりなのだそう。その後、幕末の頃、北前船で越後(新潟県)に行った船頭が、流行りの踊りを習って帰り仲間に教えたことから広まって、船上で披露するようになったものと考えられています。
 華やかな衣装については、次のように考察されています。船団の中の花形といえば五大地が出す5隻の櫂伝馬船で、船の舳先で勇敢に舞う剣櫂は、歌舞伎風の衣装に、力士の化粧まわしという出で立ちです。この扮装は、相撲人気の高かった松江藩では力士はまさにヒーローでしたし、歌舞伎は最大の娯楽のひとつ。その2つの要素が合わさって、現在の衣装になったという具合。そして、剣櫂とペアになる采振もまた、華やかな女形の扮装。五大地それぞれに決めごとがあり、同じ剣櫂と采振でも、少しずつ違いがあるのも興味深いところです。
 こうして、きらびやかになっていった神事ですが、そこには、神幸の道中「神様が退屈なさらないように、笑って楽しんでいただけますように」という、五大地を筆頭とする地元の人々の実に真摯な思いが込められています。また、松江は、中海・日本海を大橋川でつなぐ水運物流の拠点として繁栄してきた水の都です。こうした好条件が揃って、必然的に発展していったホーランエンヤ。10年に一度、370年間、途絶えることなく、粛々と口伝のみで受け継がれる奇跡のような神事なのです。
 

 ホーランエンヤは、松江城山稲荷神社の御神霊をお神輿に乗せ、松江大橋北詰め桟橋までの約1.5㎞を陸上行進。桟橋で神輿船に乗り込むと、大挙して待ち構えていた船団に守られながら大橋川を下り、一度、中海に出て、東出雲町(ひがしいずも ちょう)の意宇川(いうがわ)を上って上陸。阿太加夜神社を目指します。その距離、約 10 ㎞。この御神霊をお送りする神事は、渡御祭と呼ばれ、今年は5月 18 日(土)に行われます。  次いで、同月 22 日(水)、阿太加夜神社で行われるのが、中日祭。五大地櫂伝馬の陸船の行列が町内を練り歩き、櫂伝馬踊りが披露されます。  そして、同月 26 日(日)の還御祭で、御神霊に城山稲荷神社へとお戻りいただきます。本殿前で再び櫂伝馬踊りが奉納され、9日間にわたる 10 年に一度の神事の幕が下ろされるのです。
  • グッとくる山陰コラム2019春

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