たたら製鉄



 

日本の鉄の8割を生産した大鉄山師たちがいた

「たたら製鉄」とは、かつて全国各地で操業が行われていた日本古来の製鉄法。山や川から採れる砂鉄を原料とし、木炭の火力を用いて製錬することで鉄を得てきました。ことに山陰地方一帯は花崗岩(かこうがん)から成り立つ地層で、不純物の少ない良質な真砂砂鉄が豊富に採れるエリア。加えて製鉄には欠かせない豊かな水と森林に恵まれたことで、日本のたたら製鉄一大産地となったのです。出雲国(いずも/島根県)では、江戸中期から領内の9鉄師に藩の所有する山林を木炭産出用の山として貸与するなど独占的な経営を保証しました。
その中でも、松江藩鉄師御三家として台頭したのが田部(たなべ)家・絲原(いとはら)家・櫻井(さくらい)家でした。たたら製鉄は藩庫を潤す重要な産業として、松江藩は様々な政策により、鉄山師たちを手厚く庇護しました。一方、伯耆国(ほうき/鳥取県)では、鳥取藩はいわゆる放任主義。支援や救済など行わない代わりに、届けを出して年貢を納めさえすれば、誰もが製鉄操業を営む鉄山師になれたのです。こうして伯耆国奥日野エリアには近藤家を筆頭に当時大小20以上の鉄山師が割拠していたといいます。
江戸時代から明治時代にかけて、山陰のたたら経営者「鉄山師・鉄師」たちは、日本の産業発展を支えながら、地域経済の活性化と文化の発展に貢献したのです。

都合山たたら跡

都合山たたら跡
近藤家が明治22年~32年まで操業。操業当時、東京帝国大学の俵国一博士が行った現地調査を基に平成20年に発掘調査が実施され、高殿や製鉄炉跡などが確認された学術的にも貴重な遺跡。
鳥取県日野郡日野町中菅
アクセス:JR上菅駅より徒歩約1時間
お問い合わせ:0859-72-0249
(日野町商工会内たたら顕彰会)
※専任者はいないため折り返し連絡

菅谷たたら

菅谷たたら
田部家が経営した菅谷たたら山内に保存される高殿は、世界で唯一残る江戸時代の製鉄工場。国の重要有形民俗文化財に指定。周囲には元小屋や大銅場などの跡形が点在。TWILIGHT EXPRESS瑞風の立ち寄りルートでもある。
島根県雲南市吉田町4210-2
アクセス:JR木次線・木次駅よりタクシーで約30分
お問い合わせ:0854-74-0350

 

根雨・近藤家の経営手腕

  鳥取県日野郡日野町根雨は、近藤家のお膝元。徳川時代、参勤交代が交差する宿場町として栄えていました。今はひっそりと息を潜める根雨の町並みですが、近藤家のお屋敷や、近藤家が町に寄付した公会堂などが往時の姿のまま佇(たたず)んでいます。
 近藤家が製鉄事業に乗り出したのは、2代目の近藤喜兵衛、安永8年(1779)のことでした。天保7年(1836)に大阪に直営の鉄店を開設して全国へ販路の拡張を行ったのは画期的なこと。当時、飛脚による情報交換が頻繁に行われ、需要や景気の動向などをつぶさに把握。経営戦略を立て、鉄の生産量に反映させていました。幕末の頃の記録には、大阪から根雨まで、一度の飛脚が運んだ金額は、現在の価値に換算すると約24億円であったと記されています。

近藤家の帳面

近藤家の帳面
「明治34年度、各鉄山諸平均及び消耗費対照表」と題された近藤家の帳面は、各鉄山から提出された証票類を総合し、たたらの生産量やコスト・管理費などの諸経費を比較して合理的経営を促している。丁寧な文字で正確に記されたどの紙面からも伝わるのは、徹底された近藤家の合理的経営。「たたらの楽校・根雨楽舎」にて展示。

近藤家一族 (個人所蔵)

近藤家一族 (個人所蔵)

 近藤家が有力となったのは、合理的経営に徹したことが大きな要因ですが、その中でも特筆すべきは、あらゆる帳簿の整備を図ってムダな費用を抑えたこと。ビジネスの成功に最も要求される計数管理能力に長けていたことでした。
 また一方では、たたら従事者への傷病保障費や退職者への扶助など福利厚生費用を惜しまなかったことも、今なお慕われ続ける近藤家の手腕でした。残された近藤家文書はおよそ10万点。それは詳細なガイドブックとなって、私たちに、山陰たたら製鉄の歴史を物語ってくれるのです。

たたらの楽校 根雨楽舎

たたらの楽校 根雨楽舎
明治時代初期に建てられた築150年の近藤家一族のお屋敷を開放した、奥日野のたたらの歴史をたどり理解を広めるための学び舎。近藤家を中心にした鉄山師の歴史や暮らしぶりなどを楽しく紹介。
鳥取県日野郡日野町根雨645
アクセス:JR根雨駅より徒歩10分
お問い合わせ:TEL 0859-72-0249(日野町商工会内たたら顕彰会)
※専任者はいないため折り返し連絡
※12月〜4月初旬は冬季休校のため予約が必要

栄枯盛衰を経て今も熱いたたらの炎

田部家のたたら吹き

田部家のたたら吹き
江戸時代、たたら製鉄業で栄えた田部家の流れをくむ企業(株)田部が、鉄の歴史村地域振興事業団の近代たたらを使用し操業を開始。約100年の歳月を経て、2018年5月からたたらの炎が再びともされた。

 時代が明治になると、鎖国の終了とともに安価な西洋鉄が輸入されはじめ、たたら製鉄は徐々に苦境に立たされていきます。
 そんな中、近藤家は、地域経済を支えるため、蒸気機関や水力送風機を導入して省力化を図った新工場を建設。明治27年(1894)頃には、創業以来最高の生産高を記録しています。
 そして明治36年(1903)、田部家、絲原家、櫻井家らと協同で、「鉄材売納組合契約」を結ぶと、翌年に勃発した日露戦争により、政府筋から大量受注。一時的に景気は回復へと向かいますが、そうした特需も長くは続かず。輸入鉄への転換期とともに、たたら製鉄は終焉へと向かうのでした。

和鋼博物館

和鋼博物館
日本の製鉄法たたらに関する国内唯一の総合博物館。和鋼生産用具や映像、体験コーナーや日本刀の展示なども充実。国の重要有形文化財に指定される足踏み式「天秤ふいご」は体験も可能。
島根県安来市安来町1058
アクセス:JR安来駅より徒歩15分
お問い合わせ:0854-23-2500

 大正10年(1921)、第一次世界大戦の終結により、ワシントン海軍軍縮条約が締結されると、ほとんどのたたら生産は終了。大正時代とともに、山陰のたたらは姿を消すことになりました。
 けれど、たたらが地域にもたらした影響は今も熱いまま。日本美術刀剣保存協会、略称「日刀保(にっとうほ)」が施設を復元して操業を継続する「日刀保たたら」では、国内で唯一、日本刀の原料となる玉鋼(たまはがね)を製造。また昨年、松江藩鉄師御三家のひとつ田部家が約100年ぶりに再び操業を開始し、同時に地元の産学官連携による「たたらの里づくりプロジェクト推進協議会」を発足。たたらの炎は、今、新たな光を灯し山陰を照らし始めています。

金屋子神社

金屋子神社
全国に1200社を数える金屋子神社の総本山。古来、たたら場には必ず祀られていた製鉄の神様。現在でも製鉄関係者から厚い信仰を集め、春秋の大祭には県内外から多くの参詣者が訪れる。
島根県安来市広瀬町西比田
アクセス:JR安来駅より車で45分
お問い合わせ:TEL0854-34-0700
(金屋子神話民俗館)

Special Presenter

 



グッとくる山陰コラム2019冬

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