探県記 Vol.142
しいたつ
(2019年6月)
SHIITATSU
13271
丸太の伐り出しから手摘みまで
たたらの里で椎茸の達人がつくる
おいしい原木椎茸「しいたつ」
鳥取県奥日野では、かつて「たたら製鉄」が盛んでした。たたらには、燃料となる木炭が大量に必要です。そのため、薪になる木を計画的に「伐って、使って、植えて、育てる」循環型の林業が行われていました。おかげで奥日野の里山には、今でもコナラやクヌギなどの広葉樹が豊富にあります。廣瀬俊介さんは、それらの木を活用して原木椎茸を栽培しています。その名も“椎茸の達人”が育てた「しいたつ」。きのこ好きの方々の舌を楽しませる絶品の椎茸です。
日野町黒坂地区にある「ほだ場」に案内してもらいました。ゆるやかな斜面に雑木林が広がっています。そのなかで直射日光の当たらない日陰に、長さ1mほどの「ほだ木」が見渡す限り並べられていました。「約1万3000本あります。この辺りの標高は400mくらい。春と秋になると雲海が発生して、椎茸には最高の環境なんですよ」と説明してくださる廣瀬さん。
ここでは、大きく肉厚なブランド椎茸「鳥取茸王」の品種「115号」と「240号」が栽培されています。「115号」は甘みがあって、アワビのような歯ごたえがたまりません。一方、「240号」は旨味がたっぷり、乾椎茸にすると味わい深いダシがとれます。
いちばん苦労していることを聞いてみました。「山奥から丸太を伐り出し、原木をつくること。奥日野には樹齢50年前後のコナラが多く、直径が80cmほどあるのでチェンソーで伐るのも、運ぶのも重労働で大変です」。作業場に運搬された丸太は、枝打ちをして適度の長さにカット。冬期になると、この原木に植菌して「ほだ木」をつくり、春になってから「ほだ場」に運び込みます。
「いいタイミングで植菌し、いいタイミングで運ばないと、ほだ木に他のきのこが生えることがあります」。また、湿気を調整する「風通し」も重要なポイントです。天候と風向きにより、網ネットを利用して風を通したり防いだり。こうして丹精込めて育て、見守り続けること2年。ようやく収穫の日を迎えます。
毎年3〜4月が収穫期。椎茸は傘が開きすぎると価値が下がるため、待ったなしの忙しさです。毎日、朝から晩まで手で摘み取って一年分を収穫し、生のほか乾椎茸に仕上げて出荷されています。
きのこ好きの少年が
縁にみちびかれて奥日野へ
師匠の背中を追いかける日々
兵庫県生まれの廣瀬さんは幼いころから、きのこが大好き。地元の農業高校に進学し、きのこの研究を志しました。きのこ栽培の実習では、偶然にも指導の先生が鳥取大学の出身でした。「きのこがよく生えるという話を聞いて、鳥取に憧れていました」と卒業後は迷わず鳥取大学農学部に入学。
大学時代は山岳部に所属。また偶然が重なり、その仲間にいたのが「財団法人日本きのこセンター」の職員さんでした。「それで毎年冬になると、センターで原木に試験用の種菌を植えるバイトをさせてもらったんです。今思うと、いい練習になって鍛えられました」と懐かしそうな廣瀬さん。
その後、大学院を卒業すると、消費者の視点を学ぶため岡山の野菜直売所に就職。一年後、大学の先輩から薦められ、高齢化が深刻だった日野町黒坂のほだ場を受け継ぐことに。このとき出会ったのが、師匠と仰ぐ久代宏一さんです。「原木椎茸づくり50年の大先輩。師匠の背中を追いかけて7年目、まだまだこれから」と久代さんから学ぶことは尽きないそうです。
高校の先生、クライミング仲間、大学の先輩たち、そして師匠。たくさんの人の縁が結ばれて、廣瀬さんの「しいたつ」は生まれました。この春、もう一つ、新しい出会いも。地域おこし協力隊の隊員として、東京出身の若者が日野町に移住し、廣瀬さんのもとで活動を開始したのです。同時に、日本きのこセンターが開発した低温乾燥技術を導入して、これまで以上においしい乾椎茸づくりが始まりました。「25度の低温で20時間ほど乾燥させると、熱湯に15分つけるだけで戻る乾椎茸に仕上がります。特有の臭いや雑味が少なく、本当においしいんですよ。これからは、ポタージュなど椎茸の新しい食べ方を提案したいですね。パウダーにすれば、加工品にも広く活用できると思います」
鳥取県米子市のバーガー専門店「BUBNOVA」とのコラボレーションで、「奥日野きのこのコンフィバーガー」が誕生。今では同店で人気の一品となり、夢のかけらが実現しています。椎茸の達人の静かな語り口調には、きのこ一筋の情熱があふれています。だから、この先の「しいたつ」の未来をもっと見たくなります。ぜひ一度食べて、その可能性までも味わってみてください。
【アクセスについて】
●しいたつへのアクセス/JR黒坂駅から徒歩で約7分
●鳥取県日野郡日野町黒坂1271
【WEBサイト】しいたつ