探県記 Vol.19
大山寺
(2015年5月)
DAISENJI
2646
参道、山門、急な石段
大山の中腹に鎮まる山岳信仰の歴史
つま先上がりの参道を登り、最初にたどり着いたのは、大山寺の山門。少し急な石段を上ってさらに進むと、やっと見えてきたのが、朱色の扉があざやかな、天台宗別格本山、角磐山、大山寺です。失礼ながら、本堂を背にして北西の方角に目をやると、眼下に、青い日本海が広がっています。
中国地方の最高峰、古来“神の宿る山”として、崇められてきた大山は、伯耆富士とも呼ばれるほどの、優美な山容を誇ります。
ときは奈良時代、養老2年(718)、出雲の国玉造りの人で、依道という方によって、大山の中腹に開山されたのが、大山寺。山岳信仰に帰依する修行者が早くから入り、修験の山として知られていました。最盛期には、100を超える寺院と、3000人を超える僧兵を擁する、信仰の一大中心地。
和歌山県の高野山金剛峯寺や、滋賀県の比叡山延暦寺と並び称される大刹でした。
開山1300年祭のその日を
心から待ちわびている。
日本が明治時代に入ると、神仏習合が廃止されて、大山寺も、廃仏毀釈を命じられると、急速に衰退の一途をたどります。なんと28年間、大山寺号が廃絶されたていたこともありました。
その後、大山寺号は復活が許されましたが、往時42を数えた僧坊は、現在、わずかに5棟を残すだけになっています。
「神仏習合の歴史が、これほど色濃く残っているのは珍しいですね」と内山キャプテン。奥深い歴史に感心しきりの様子です。
大山寺本堂は、昭和26年(1951)に再建された、山岳信仰の中心の御堂です。
今も、大山寺を中心に、国の重要文化財に指定される寺院など、栄華の面影を残す史跡名所が多数点在。鬱蒼とした豊かな森に守られて、栄枯盛衰の歴史を静かに物語っています。
718年に開山した大山寺、3年後の2018年に、開山1300年を迎えます。
常に、登山者や参拝客、観光客で賑わう大山寺ですが、1300年祭には、きっと想像を遥かに超える歴史絵巻に彩られるはず。今から、そのときが、楽しみでならないのです。
【アクセスについて】
●JR米子駅より日本交通バスで約30分
●鳥取県西伯郡大山町大山9