探県記 Vol.69

弓浜がすり伝承館・絣音工房

(2016年4月)

YUMIHAMAGASURI-DENSHOKAN・
KASURIWO-KOUBO

4767

閉館されました。

絶滅の危機を乗り越えて復活
庶民の生活から生まれた伝統工芸『弓浜絣』

 
鳥取県は、右を向いた犬の形に似ているといわれます。そうすると、ピンッとあがった尻尾にあたる場所が、ちょうど県西部の弓ヶ浜半島。その昔、中国山地で行われていた「たたら製鉄」の鉄穴(かんな)流しによって、膨大な砂が流されて来て堆積し、形成された砂州なのです。
 
そんな砂地の弓ヶ浜半島は、米作りには適していませんでした。けれど反面、綿作りには最適な場所。なんでも、弓ヶ浜半島の地下には「淡水レンズ」と呼ばれる淡水の層があることが日本で初めて確認されたという、地下水が豊富な土地でもあるのです。
 

江戸時代初期、弓ヶ浜半島で栽培される綿は「伯州綿(はくしゅうめん)」と呼ばれて、鳥取藩の一大産業になっていました。そして、この伯州綿で糸を紡ぎ、藍で染め、織り上げたのが、およそ250年前より伝承される「弓浜絣」です。農家の女性たちが、家族のために織った素朴な絣は、深い藍色の地に白抜きの柄が映える、ざっくりとした風合いが特徴です。
 
江戸時代末期から大正時代に最盛期を迎えた弓浜絣ですが、化学繊維の発達で徐々に衰退。絶滅の危機に瀕していました。そんなとき、昭和50年(1975)に国の伝統的産業工芸品に、同53年に県の無形文化財に指定。現在は、「弓浜がすり伝承館」を拠点に、維持・復興、後継者の養成研修も行われています。

 

 

 

養成研修で後継者を育成
若く頼もしい職人たちへの期待は大きい

 

稲賀さゆりさんは、後継者養成研修を行ったひとり。大学で染織を専攻し、卒業後、地元に戻りこの研修制度に参加。県の無形文化財保持者である嶋田悦子さんに師事して3年間、弓浜絣の技術をしっかり学んで独立し、「絣音工房(かすりをこうぼう)」を立ち上げて5年になる絣職人です。
 
「綿作りから手紡ぎ、そして織まで、全ての工程をひとりで行っています。大量生産はできませんが、昔ながらの足踏み式織機“高機(たかはた)”にこだわっています」と稲賀さん。反物以外では、クールビズタイやがまぐちなど、現代のライフスタイルに適った小物作りが評判になっています。
 
冬は、藍を発酵させて染色できる状態にする「藍を建てる」季節。そして春は、いよいよ染めの季節。若い後継者が努力する姿は清々しく、なにより、とても頼もしいと感じました。

 
【アクセスについて】
●弓浜がすり伝承館へのアクセス/JR境線中浜駅より徒歩約10分
●鳥取県境港市麦垣町86