探県記 Vol.39
太皷谷稲成神社
(2015年9月)
TAIKODANIINARIJINJA
3456
「稲荷」ではなくて「稲成」
お殿様にまつわるその理由に納得。
太皷谷稲成神社は、山陰の小京都と呼ばれる風流なまち津和野のランドマーク的存在であり、日本5大稲荷のひとつに数えられています。
安永2年(1773)、津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が、津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため、津和野城の鬼門にあたる太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から祀ったのが太皷谷稲成神社の始まりと伝わります。
以来、歴代の藩主の崇敬が篤く、明治時代になるまで、藩主以外の参拝は禁止されていたのです。
ところで、お気づきですか? 太皷谷稲成神社は「稲荷」ではなく「稲成」だということに。
それには、次のようなお話が語り継がれていました。
──それは、伏見からお稲荷様をお迎えした直後のこと。お城には、ひとりの蔵番がいました。ある日、どうしたことかどこを探しても蔵の鍵が見つかりません。蔵番は観念して、鍵をなくしたことを正直にお殿様に申し上げました。お殿様は大層ご立腹で「7日間だけ待ってやる」と仰ったのです。蔵番は懸命に探します。けれど見つかりません。ついに蔵番は、お殿様以外は参ってはいけないお稲荷様に参拝し、お願いをしたのでした。するとどうでしょう、何度も探したはずの場所で蔵の鍵を発見。蔵番は直ちにお城に駆けつけて、厳罰を覚悟で、お稲荷様に参ったことを包み隠さず報告しました。お殿様は、正直な蔵番をお許しになり「願望成就の御神威が高いお稲荷様だ」と仰って、日本で唯一「稲成神社」の表記にあらためられたのだそうです。──
海抜213.6mの参道に、
263段の石段、1000本の鳥居。
海抜213.6mの峰に建つ、太皷谷稲成神社。参道は263段の石段で、鮮やかな朱色の千本鳥居が山の緑に映えてとても美しい神社です。
「津和野のお殿様は、なぜこんな険しい場所に神社を建てられたのでしょうね」と内山キャプテン。
「津和野が発展するように、津和野の皆が幸せに暮らせるようにと、お造りなられたのでしょう」と宮司さん。
津和野藩主・亀井矩貞公が、領民の幸せを思い、「願望成就」「心願成就」などの意味を込めて「稲成」とした太皷谷稲成神社。11月15日は、盛大な秋の例祭。色づいた紅葉に、千本鳥居の朱色がいっそう映えて、それは美しい季節の到来です。
【アクセスについて】
●太皷谷稲成神社へのアクセス/JR山口線「津和野駅」から車で約11分
●島根県鹿足郡津和野町後田409
【WEBサイト】太皷谷稲成神社