探県記 Vol.93
月照寺
(2016年12月)
GESSHOJI
6119
時間をかけてじっくりと巡りたい
国の史跡「松江藩主松平家墓所」
松江城の西側、徒歩なら15分ほどの場所に、松江藩主松平家の菩提寺「月照寺」があります。もとは洞雲寺(とううんじ)という禅宗のお寺でしたが、1664年(寛文4)、徳川家康の孫にあたる松江藩初代藩主・松平直政公が生母・月照院様の霊牌を安置するため、浄土宗の蒙光山(むこうさん)月照寺として改称復興したのがはじまりです。
約1万㎡の広大な境内に祀られているのは、初代藩主・直政公から二代・綱隆公、三代・綱近公、四代・吉透(よしとお)公、五代・宣維(のぶずみ)公、六代・宗衍(むねのぶ)公、七代・不昧(ふまい)公、八代・斉恒(なりつね)公、九代・斉斎(なりよし)公まで。松平家九代の廟所が並ぶ荘厳なこの場所は「松江藩主松平家墓所」として国の史跡に指定されています。
まずは書院「高真殿」で受付を済ませ、月照院職員・板垣秀治さんの案内で境内へ。
鬱蒼として静かな参道を進んで、やはり最初は初代・直政公の廟所。一番大きなお墓です。
「廟門の上に動物が彫ってありましたが気がつきましたか?」と板垣さん。
「あっ本当。かわいいからネコ?」と谷夏海隊員
「正解はトラですね。外側に彫ってあるトラは目を見開きキバをむいてお殿様を守っています。内側のトラはキバを隠し穏やかに目を閉じています」と板垣さん。
「お墓の前に鳥居があるんですね」と木内キャプテン。
「これは華表(かひょう)といって墓所の入口に建てる門です」と板垣さん。いろいろと勉強になります。
松江城を望むスポットとか名工の彫刻、
大亀の石像や3000本の紫陽花など見所が満載
次に向かったのは、松江といえばこのお殿様、七代・不昧公の廟所です。
不昧公の廟門の彫刻は、なんとフルーツのブドウです。なんでも不昧公の好物だったからだとか、子孫繁栄の意味があるのだとか。作者は大工の名匠・小林如泥(じょでい)。不昧公の愛顧を受けて江戸でも活躍した木工家です。
廟門をくぐり、少し進んだ場所で
「不昧公のお墓を背にして左斜め45度を向いて見てください」と板垣さん。
「うぉ~松江城!お城を愛したお殿様のための粋な計らいですね」と木内キャプテン。
視界を遮らないよう、木の枝はきちんと伐採されています。
不昧公の次は、父である六代・宗衍公の廟所。巨大な大亀の石碑「月照寺の大亀」で知られています。その大きさは、高さ1mの亀の背に、高さ3mの石碑が乗せられていて、見上げるばかり。
かの小泉八雲も随筆に書いているこの大亀には、次のような話が伝わっています。
──松平家の藩主が亡くなられた後、亀を可愛がっていた藩主を偲んで大亀の石像を造りました。ところが、その大亀は夜な夜な動き出し城下の町で大暴れ。人を食べるまでになっていました。困り果てた寺の住職は、大亀に説法を施しました。すると大亀は「自分でこの奇行を止めることはできません。ご住職にお任せします」と大粒の涙を流して頼みました。そこで亡くなった藩主の功績を彫り込んだ石碑を大亀の背中に乗せて、この地に封じ込めたのでした。──板垣さんのお話を聞きながらの廟所巡りは、実に興味深く、歴史を知ることの面白さに気づかされました。
一行は再び高真殿に戻り、お庭を眺めながら縁側でお抹茶を一服。お殿様気分を味わって、この日の任務は完了です。
九代全ての廟所を巡ることはかないませんでしたが、できることなら次回は花の咲くころ、たっぷり時間をかけて再訪したい場所。
なぜなら月照寺は「山陰のあじさい寺」といわれて、先代のご住職が1本ずつ手植えされた約3000本の紫陽花が咲き競う光景がとても素晴らしいと評判。その他にも、冬には山茶花や椿、春には桜、そしてツツジや睡蓮など、四季折々の花々が美しいスポットなんです。
【アクセスについて】
●月照寺へのアクセス/JR松江駅より「ぐるっと松江レイクラインバス」で約13分
「月照寺前」下車
●島根県松江市中原町179
【WEBサイト】月照寺